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妻を喪ってからの津川雅彦、3ヵ月間で起きたこと

享年78、早すぎる死 

苦労をかけた妻に先立たれた。残された夫も悟る。「自分ももう長くない」。そのとき何をすべきなのか。後悔や憂いをできるかぎりなくし、あとは静かに逝きたい。名優の最後の100日間とは――。

妻の葬儀を終えた翌日に

「先に死んでくれたことも含めて感謝だらけです」

津川雅彦さん(享年78)は会見で、45年連れ添った妻・朝丘雪路さん(享年82)への想いをそう明かした。それから3ヵ月あまり、津川さんは後を追うように亡くなった。

独りの日々を名優はどう過ごしたのか。

東京・世田谷区内の住宅街。大通りから一歩入った場所にある2階建ての一軒家が、津川さんの「終の棲家」だった。ただし昭和を代表するスターの自宅としては質素な造りで、建物は築年数の長さを感じさせた。

近隣の住民が明かす。

「あの家は所属事務所名義の借家で、家賃は30万~40万円ほどだと聞いたことがあります。約5年前、朝丘さんがお手伝いさんと暮らし始めました。ただ、しばらくすると、朝丘さんの姿は見かけなくなりました。施設に入っていたのだと思います。

3年ほど前に津川さんが朝丘さんを引き取り、この自宅で夫婦で住むようになったんです」

'08年には津川さんは手がけていた玩具販売事業が失敗し、約6億円の負債を返済するため、朝丘さんの所有だった都内の自宅を売却。以来、二人は別居していた。

だが、'13年末に朝丘さんが認知症の診断を受けた後、津川さんは再び朝丘さんと同居を始めたのだ。

「自宅から車で10分のところに、一人娘である女優の真由子さん(44歳)が住んでいるマンションがあります。津川さんは晩年になって家族3人で過ごす時間を増やしたいと思ったのでしょう」(津川さんの古くからの友人)

夜遊び三昧の日々を過ごしたこともある。自身のせいで、自宅も手放させてしまった。せめて看取りはしなければならない。それが、津川さんの想いだっただろう。

だが、津川さんも、心臓や肺の疾患で入退院を繰り返しており、認知症の妻の介護は難しい。真由子さんやお手伝いの女性が朝丘さんの世話をしていたが、津川さんも可能なかぎり妻の側にいた。

「二人は挨拶代わりのキスを日課にしていたそうです。ただ朝丘さんは、津川さんのことも誰だか分からなくなっていった。『あら、社長』なんて声をかけられることもあって、津川さんも落ち込んでいた。

それでも昔の洋楽や自分が若い頃に歌った曲を聞くと朝丘さんは機嫌が良くて、一緒に音楽を楽しむこともあったそうです。自分のことを誰か分かっているような反応を朝丘さんがすると、津川さんはとても喜んでいた」(前出の友人)

 

今年4月27日、朝丘さんは自宅で亡くなる。自宅の近所にある葬儀場で、近親者だけの密葬が行われた。朝丘さんの30年来の知人が語る。

「朝丘さんの生前、役者仲間が自宅を訪ねても、津川さんの意向で会えないままだったと聞きました。なので、当然のように朝丘さんの葬儀のことも友人たちには知らされませんでした。内々で済ませるというのが、津川さんの方針だったんです」

誰にも邪魔されずに妻の死と向き合いたかったのだろう――。

朝丘さんの訃報のニュースが流れたのは、約3週間後の5月19日のこと。その翌日に津川さんは会見を開いて、冒頭で記した心境を口にした。会見翌日に、津川さんを取材したコラムニストの石原壮一郎氏はこう語る。

「朝丘さんを愛していたことが言葉の端々から伝わってきました。『火宅の人』というイメージは、津川さんが意識して作っていたのかもしれない、とも感じました。

一方で朝丘さんの死について、『覚悟は十分にできていましたから』と話されました。気落ちしている素振りはまったく見せなかったですね。本当に最後までダンディでした」