「日本人」とは誰か?大坂なおみ選手についての雑な議論に欠けた視点

新たな問いかけ、そして学び
井戸 まさえ プロフィール

「謙虚」と「我慢」は日本の美徳か

一方で、大坂選手の振る舞いに、過剰なまでに「日本人」を重ねてみる向きがあることにも違和感を覚える。

トロフィーセレモニーで、セレーナ・ウイリアムズに対して、「Thank you」とちょこっと頭を下げた大坂選手について「深々とお辞儀をした」「日本人の魂だ」「さすが大和撫子」といった書き込みを見る度に、大坂選手の今後が心配になる。

少しでも「日本人らしくない」言動をすれば、賞賛の声はあっという間にバッショングに変わるだろう。

大坂選手のテニスの真髄が「我慢」となると、「『我慢』は日本の文化」と言い出す。少なくともそれを教えたコーチと父はいずれもドイツ人でありハイチ出身のアメリカ人だというのに。

「良きものは全て日本に起因する」とするには無理がありすぎる。

また「謙虚な姿はまさに日本人」とのコメントもあちこちでたくさん見たが、ことさら日本を褒める行為には「謙虚さ」は感じられないし、「我慢」のあとも見られない。

なるほど、「大坂なおみは日本人じゃない」と書く人も「大坂なおみはさすが日本人」と書く人も、どちらも自分が思う「あるべき日本人」を実践できていないのかもしれない。

だからこその焦燥。「日本人の軸」とは一体なんなのか。こうして予定不調和な事例が入ってこないと確認できないほどに、揺らぎを抱えているのである。

そこには、今も「イエ」社会と「ムラ」社会という感覚が薄らと透けて見える。

〔PHOTO〕gettyimages

「私は私だと思っている」

9月13日、テニストーナメント出場のために日本に帰国した大坂なおみ選手は記者会見に臨んだ。

「日本のテニスや日本人観を変える存在という声もあるが?」との質問には、「私は自分のアイデンティティーは深く考えず、私は私だと思っている。育てられた通りになってきている」と答えている。

「テニスに関しては、あまりというか、ほとんど日本のスタイルらしくないと思っています」とも。

彼女はダブル、トリプルといった固定化された、ステレオタイプのアイデンティティーといったものからも解き放たれているように見える。

「日本の子どもたちにメッセージを」と言われると、「私を目標にしないでください。それまで責任が取れないです」といつものユーモアで答えたが、こうした受け答えの端々にも、次にやってくるだろう時代の流れを見ることができる。

 

大坂なおみ選手は日本人だ。そして、アメリカ人だ。

ただ、それがどうした、である。
多文化の背景を持つ彼女は、ひとつの国に留まらず、人生を謳歌する自由を持つ。

雑音にも揺るがず、自分を保つ強さは日本人のみならず、世界中の人を勇気づけたし、これからも鼓舞してくれることだと思う。

今回鮮明になったのは、「謙虚」も「我慢」も多様な文化の中でより強く育まれるということだ。軽やかに答えるに至るまでは、さまざまな葛藤があったことも想像に難くない。

人種、男女他、どの国にいてもいまだ克服されることなく続いている差別等に向き合わなければならない現実も含めて、大坂なおみ選手の出現は、日本社会に新たな刺激と問いかけ、学びをもたらしたのである。