「日本人」とは誰か?大坂なおみ選手についての雑な議論に欠けた視点

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井戸 まさえ プロフィール

二重国籍への批判

「母親が日本人だから大坂選手が日本人だ、ということはわかった。だが、二重国籍はどうだ?アメリカ人でもあるんだったら、『純粋な』日本人とは言えないだろう」

法的に全く問題がないと言っても、「二重国籍」を指摘して大坂選手が日本人であることに納得いかないという人の声も聞こえてくる。

たしかに大坂選手はアメリカ国籍も持つ、いわゆる「二重国籍」者だ。

アメリカには国籍選択の規定はなく、単独国籍であることを求めているのは日本だけだが、日本の国籍法の規定によれば、大坂選手は22歳の誕生日以前までに国籍選択をすればよい。

この10月に21歳の誕生日を迎える大坂選手は少なくともあと1年は「二重国籍」であってもなんら問題はない。となると、現在はアメリカ国籍を持っていたとしても、合法的に日本人である。

しかし、なぜ「二重国籍」であることでこうした批判が上がるのだろうか。

 

「国家に対する忠誠」を問題としているのだろうか?もしくは、単独国籍しかもたないものに比べて、「より広く機会を享受できるであろうことへ不公平感」なのだろうか?

国家が国民に対して「国籍」を付与するということは国家に対しての従順を要求するのと交換に、個人の要求に対し、便宜を図り、また対外的な危機から保護するという構造を提供するということだ。同時に租税や兵役等、国民の義務履行に対しての監視の意味ももちろんある。

「国民」は自国に自由に入国・在留することができる。就業や進学に対する許可も基本的にはいらない。海外への渡航等の便宜も含めて「二重三重に国籍を持つこと」は、そのメリットの幅を広げて享受できるという利点がある。

一方で「重国籍」であることで、複数の国家の監護権が衝突、外交保護権、参政権、兵役と言った国に対する権利と義務関係が複雑化する、というデメリットもあげられる。

外国の軍事的や役務に服することで、国に対する国民の忠実義務が抵触する事態が生じるおそれもあること。また単独国籍しか有しない多くの国民との間に機会不平等が生じること。

重国籍者はその属する各国で独自の氏名を登録することが可能なので、入国管理を阻害したり、重婚を防止したりできない。重国籍者の本国法として適応される法律がどれなのかわからず、混乱を生む可能性も指摘される。

ただ、居住や就労等の実質的なつながりの強い国を優先する「実効的国籍の原則」によってこうした弊害は解消されると考えられている。

問題は、大坂選手をはじめ二重国籍当事者の多くは自分の意図で重国籍となっているわけではないということだ。

出生地主義、血統主義、単独国籍、重国籍容認――。さまざまな主権国家が独自に決めた「国民」の範囲、生まれた場所、父母の国籍等に影響を受けながら、その状況を受容しなければならないのだ。

こうした現状を見てもなおも「大坂なおみは日本人ではない」となると、その人は法治国家日本の国民であることを自ら否定しているとも取れる。

もちろん、主権者である国民は、自らの国の法律を変えることができるので、今後法改正を目指して行動を起こすことはできる。

しかし、現在で何ら法の担保もない「日本人たる基準」を一方的に押し付け、誰かを名指しし「日本人じゃない」という権利はない。

特にそれが個人的なアイデンティティーに関わることであれば人権侵害にもあたり、なおのこと慎重にならなければならないのだと思う。

ただ、こうした言動をする人々が国籍法の条項や、国籍選択の時期等を知らないとも思えない。

となると、ある意味意図的にこうした言動を繰り返すことで、自分にとってなじみのないものが、自分の領域である「日本」に入ることを怖れているようにも見える。

何らかの「威嚇」としての効果、もしくは「日本を守る」といった類のヒロイズムを与えてくれるのだろうか。