学歴エリート受難の時代、野間清治が直面した「一生の危機」

大衆は神である(18)
魚住 昭 プロフィール

大事なことはなるべく野間にやらせることにしたい

東京帝大の法・文両科の合同事務室は木造平屋建ての建物のなかにあった。
事務室の正面に法・文両科の書記長である松永武雄が座り、左右に事務机が5つずつ並んでいた。
法科の書記が清治を筆頭に3人、文科の書記が2人。ほかに雇員4人の机もあって、残り一つの空き机の上には学生名簿が置かれていた。

事務室と扉を隔てて法科大学長室があり、学長の穂積八束(ほづみ・やつか/憲法学)がいた。文科大学長の坪井九馬三(つぼい・くめぞう/西洋史学)は専用の学長室を持たず、事務室の一隅に机を置いていた。

 

『野間清治伝』などによると、清治の卓上はいつもごたごた混雑しており、よく物がなくなったそうだ。彼自身、神妙に席に座っていることが少なく、出勤したかと思うと、たちまち姿を消す。そそくさした一種独特の歩き方で、少しもじっとしていない。

それでいて事務処理は迅速であり、時々失敗しても、ワッハッハと笑い飛ばしてしまうので罰せられもせず、1食8銭の箱弁当を平らげながら、愛想よく誰にでも話しかけた。

彼の仕事は教授たちとの交渉が多かったが、その応対ぶりの巧妙さは堂に入っていて、愛嬌たっぷりで誰にも親しまれた。総長の浜尾新(はまお・あらた)と学長の穂積の信任はとくに厚く、浜尾は穂積に「大事な交渉とか大事な使いとかは、なるべく野間にやらせることにしたい」と語ったという。

あるとき清治は試験の監督官をつとめた。答案用紙を配り、問題を黒板に書いて、椅子に腰を下ろした。やがて清治は深い眠りに落ち、いびきをかきはじめた。それに気づいた学生たちが爆笑した。以来、清治は変わった男だと評判になり、学生たちからも親しまれるようになった。