教育を「送る」側へと、大きな境界線を踏み越えた年のこと

ポストモダンの真っ最中に

私的体験の暴露

講談社の好意で、『本』は毎号送られてきます。新潮社の『波』(どちらもタイトルが一字ですね)と並んでいつも愛読しています。

『本』には「自著を語る」とでもいうべき文章が幾つか載っています。それぞれ、「我を語る」ことになるこの種の文章には、書き手の個性が鮮やかに表出されて、多種多様、読んでとても楽しいものです。

ところが、思いがけずその義務が、我が身にふりかかってきました。さて、と思案に暮れているところです。

話は飛びますが、最も好きな二字熟語、四字熟語は、と問われたら、ほとんど迷わずに「含羞」であり「自己韜晦」である、と答えると思います。理由はとおっしゃる。

こういう答えには別に理屈は要らないでしょう。若い頃から一貫してそうでした。どちらも、「自意識過剰」の五字熟語一発で仕留められそうですが、歳を重ねて面の皮は相当に厚くなったはずの昨今でも、この点だけは変わらないのです。

当然どちらも「我を語る」ときの大きな障害になることはおわかり戴けるでしょう。

もとよりものを書くこと自体が、自己表出の業であることは間違いありません。だから、それなりの数の本を出していて、今更何を言うか、と言われれば、これもそれでおしまいになります。

それに私の近著は、一種私的体験の暴露に近いものが多いのです。まことにお恥ずかしい。

 

大きな境界線を踏み越えた年

恥ずかしい、と言えば、今回、学術文庫から出された『日本近代科学史』(『日本近代科学の歩み』を改題、文庫化)が最初に出版されたのは昭和43年、ちょうど50年前のこと、文字通り「若気の至り」の産物です。

それだけでも、恥ずかしくない訳がありません。その頃の私は、今の研究職の狭き門状態を考えれば、時代が違うとしか言いようがないのですが、大学院生の身分でありながら、私立大学の助手の職にあるという幸運に恵まれていました。

昭和43年は、助手から専任講師へと昇格が決まり、つまり本格的に冷たい世間の風に立ち向かうことになって、それまで私を永らく育ててくれた、言わば哺育の場所と訣別し、全く逆の立場へと転換を体験した年に当たります。