ふとメモしたことが……(photo by iStock)

未完成であることが完成した姿、という小説もある

こそこそと書きつけたもの

吉田篤弘さんの新刊『おるもすと』の特設サイトはこちらから⇒http://news.kodansha.co.jp/6756

「何だろう、これは」

いまから十五年ほど前のことです──。

執筆用のノートを整理していたとき、ある一冊のノートのうしろの方に、書いた覚えのない小説を見つけました。

ぼくはいつも小説をノートに手で書いています。小説に限らず、いま書いているこの文章もノートに書いています。

ですが、書いている途中で、ふと別の小説を書きたくなるときがあり、そういうときは──誰が見ているわけでもないのですが──なんとなく、こそこそとノートのうしろの方に書く慣わしになっています。

これは学生時代の名残りで、授業中にノートをとるふりをして、うしろの方のページに小説を書いていたのでした。

「何だろう、これは」

書いた覚えのないその小説は、まるで自分ではない別の誰かが書いたようで、それゆえ、つい引き込まれて読み進めるうち、次第に記憶がよみがえってきました。

それは、当時書いていた連載小説を執筆するかたわら、こっそりと書いたもので、「おるもすと」とタイトルもしっかり書き込まれていました。

たしか、最初にその「おるもすと」という言葉が頭に浮かび、その言葉から連想して最初の一行を書き、さらにその一行から連想して次の一行を書くという進め方で一気に書いたのでした。

その先がどうしても書けない

こうしてノートのうしろの方に書かれた小説のあらかたは書いたまま忘れてしまうのが常です。

ノートの前の方に書いているのが依頼に応じて書いているものだとすれば、うしろの方に書いたものは依頼もないのに書いてしまったもので、ようするに発表のあてがないのです。しかし、考えようによっては、そのとき、純粋に書きたいものであったとも云えます。

ただ、時間を経たあとで読んでみると、その大半は他愛ないもので、たとえノートを整理するときに発見されたとしても、一読してそれで終わりです。

ところが、「おるもすと」を見つけたときは、「こんなものが見つかった」と家人の前で朗読して読んで聞かせました。すると、彼女がめずらしく、「それ、その先も書いてほしい」と目を潤ませたのです。