秋田の人口たった2600人の村が「学力日本一」になった秘密

スーパーも塾もないけれど…
あんばい こう プロフィール

教員を動かした「強い危機感」

しかし、秋田県や東成瀬村の学力が昔から高かったわけではない。

1964年(昭和39)に行われた「昭和の学力テスト」では、秋田県は45都道府県中(不参加の福岡県と返還前の沖縄県を除く)、小学6年生の算数が43位、中学3年生の数学が37位という結果だった。

この64年の調査結果は、秋田県の教育関係者に大きな衝撃を与えた。秋田県の教育はここから大きく改革・改善に舵を切ることになる。

具体的に学力向上に向けた教育実践の記録が残っているわけではないが、この「昭和の学テ」の危機感をバネに、秋田の教員たちは積極的に足元の授業改革を進めた。こうしたなかから児童生徒が話し合いの中で答えを導く「探求型授業」が生まれた。

村の古老の話を聞く小学1年生(筆者撮影)

先生が児童に教え込むのではなく、授業の目的を提示し、児童が自分で考え、グループで話し合い、最後にその授業内容を振り返る。さらに学習ノートを活用した「家庭学習」の習慣化、少人数学習、などのスキルや方法が秋田県の教師に定着していったのである。

秋田県独自といわれる「探求型授業」は、実は「平成の学テ」が始まる以前から秋田県の教育現場が取り組んでいる授業スタイルだった。

 

「教育貧困」からの脱却

同じように東成瀬村も県内で「教育貧困地域」と揶揄された苦い歴史を持っている。

ひょろ長い地形で、県内でも有数の豪雪地帯であった東成瀬村には、ひとつの本校と4つの分校があった。冬場は雪で通学不能なためだ。それが統合され、本校ひとつになったのは1977年(昭和52)のことだ。

当時、本校を除く4分校の中学校は小学校に併設されていた。つまり、小学校と中学校が同じ校舎だった。小学校は40分授業だが、分校の中学生はその小学生とともに40分枠で授業をしていた。建物が同じなので別々のチャイムを流すのが煩わしかったのだろう。本来、中学生は50分授業が義務付けられていたのだが、分校では当たり前のように小学生枠のまま授業が進められていたのだ。

しかし統合が成立すると、分校の中学生たちが受ける授業時間は、年間にして1150時間も通常より短かったことが判明した。当然のごとく、勉強不足、学力不足が指摘された。教師たちのショックは大きかった。

「分校の生徒たちの今後の学力向上のために何が必要か」

教師たちは連日熱い議論を交わした。「他校より学力が劣っている」という危機意識が教師たちを奮い立たせた。

だが、そんな崖っぷちの危機意識も、時間が経つにつれ記憶は薄れ、風化していくのが常だ。とくに町村合併などあれば、小さな地域的な問題など雲散霧消してしまう。

しかし東成瀬村は、この中学校統合問題が起きてから一度も他の自治体に合併、吸収されることなく、単独立村の道を歩んできた。このことが危機意識の灯を消さず、「高い教育意識」のモチベーションを維持する結果に結び付いた、と考える人たちもいる。

東成瀬村の教育の原点は、この40年前の分校統合問題で明らかになった「劣等感」がスタートだったのかもしれない。