「断片化と細分化の違い」に気づかせてくれた髙木先生の「たわけ」論

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール

記憶が消え、たわけが進む

1990年代に入ると新聞学会は名称変更で揉めることになった。

最終的には日本マス・コミュニケーション学会に落ち着くのだが、その過程では、新聞・放送学会、新聞・放送・広告学会、あるいは新聞・放送・広告・コミュニケーション学会など、分けられた田んぼの名前を列挙するという、今考えればコミカルに思える案も出された。

2018年度現在、日本マス・コミュニケーション学会の研究部会は7つへと増加している。理論研究部会、ジャーナリズム研究・教育部会、放送研究部会、メディア史研究部会、メディア倫理法制研究部会、メディア文化研究部会、ネットワーク社会研究部会がそれである。

現在の学会員の大半は80年代後半の事情を知らない。つまり、放送学という新たな領域の存在表明をしようというビジョンと、新聞学と括られる領域がもつ全体性、総合性を大切にするべきだというビジョンとがぶつかり合い、結果として研究部会というかたちで相対的に固有の領域を認めることで手打ちをしたという政治的な判断があったことは、さっぱり忘れられている。

そうした忘却の中で現在進行しているのは、細分化というより断片化だといえるのではないか。

忘れられた大物プロデューサー

僕たちの研究分野には国際コミュニケーション学会(ICA)と国際メディア・コミュニケーション研究学会(IAMCR)という大きな国際学会があり、それぞれ23と14もの分科会をもつ。

分科会は先の研究部会よりは大きく、さらに制度化したものだが、その性格は同じだ。たとえばICAの分科会名をいくつかあげるなら、「こども、青少年とメディア」「コミュニケーションと技術」「環境コミュニケーション」「ゲーム研究」「フェミニズム研究」「広報」など、バラバラである。

さらにこの学会には分科会予備軍のインタレスト・グループが9つもある。

アメリカでマスコミュニケーション研究がはじまった頃、ウィルバー・シュラムという大物プロデューサー的な研究者がいた。

シュラムウィルバー・シュラム Photo by Wikimedia Commons

彼は、ラジオやテレビが社会に与えた影響をとらえるためのマス・コミュニケーション現象のモデルを構築し、たとえば送り手研究、受け手研究、内容分析などといったように、そのモデルにしたがって研究領域の分割を試みた。

さらに、この領域が4名の天才的な研究者たちの学際的で産学連携的な共同研究によってはじまったのだという誕生神話のようなものまでこしらえた。

シュラムはアメリカ国内のみならず、環太平洋諸国の大学にコミュニケーション学部などを生み出す伝道師としての役割も果たした。今日のICAを成り立たせているさまざまな仕掛けは、シュラムのプロデューサーとしての手腕に大きく依っている。

だがごく少数の重鎮を除き、そんなことはすっかり忘れ去られてしまっている。