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「断片化と細分化の違い」に気づかせてくれた髙木先生の「たわけ」論

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
東京大学大学院情報学環×現代新書×ブルーバックスコラボ企画、連続大喜利エッセイの第3弾は「断片化」がお題。このお題、うまく扱わないと、せっかく上手に切り分けても「それが断片化じゃないか」と突っ込まれそうですが……。

「水越くん、たわけはダメですよ!」

大学院時代の指導教員、髙木教典(たかぎ・のりつね)先生が口にされた言葉だ。

先生は歯に衣着せぬ物言いをなさる、プロデューサー感覚のあるマスメディア産業論のパイオニアだった。数年前にお亡くなりになったが、僕は時々この言葉を思いだし、学生たちに話すことがある。

幻の放送学会構想

髙木先生が僕に向かってそう言われたのは、たしか1980年代後半、当時の日本新聞学会から放送に関心のある研究者らが集団で離脱し、放送学会のようなものをつくろうとする動きがあったときのことだったと思う。

日本新聞学会(以下、新聞学会)は、ジャーナリズム研究やマス・コミュニケーション現象の社会科学的な解明に取り組むために、清水幾太郎、日高六郎、南博といった、戦後の代表的進歩的知識人が創設メンバーとして関わり、1951年に設立された。

当時、新聞というのは実体としての新聞のことだけではなく、マスメディア全般を指す概念だとされていた。

20世紀初頭までは、大量生産・大量消費されるマスメディアは印刷メディアしかなかったため、新聞という一つのメディアがマスメディア全般の意味を代替できた。その時代の産物が新聞学であり、新聞学会という名称だった。  

放送学会設立の気運がどういう経緯で出てきたのか、まだ学生だった僕は知らなかったが、80年代後半といえばテレビ全盛期であり、新聞はすでに古びて見えたものだった。

故事来歴がどうであれ、新聞が一番で放送が二番という暗黙の評価が当時の新聞学会にはあった。その雰囲気を嫌がった研究者が一定以上いたとしても無理はない。

もし放送研究に関わる会員の離脱が起これば、新聞学会は縮減することになる。それを髙木先生をはじめとする当時の学会首脳陣はやめさせようとし、そのために学会の中に研究部会というユニットを3つつくり、その1つを放送研究部会として丸く収めたのだった。

学者はたわけである

髙木先生がおっしゃったのはおよそ次のようなことだった。

学者というのは自分の専門に閉じこもってなかなか外へは出たがらない。それどころかどんどん専門領域を細分化していく傾向がある。小さな領域を確保して自分の縄張りとし、気心が知れた仲間と小さなお城をつくろうとする。

世の学会には会員数が300人や400人の小振りのものがあちこちにあるが、そんなものをボコボコつくってどうするつもりなのか。

とくにメディアやコミュニケーションのようなアクチュアルな対象を相手にし、大衆社会全体を視野に入れた議論をするべき領域でそういうことをやったらダメだ。

そして、そういうのをたわけだとおっしゃったのである。