わかりやすく即効性のあるものが尊重される

世の中のさまざまな局面で、明確さや即効性のあるものばかりが尊重されている気がする。そしてそれとは逆のベクトルや性質をもつものが軽んじられているような気がする。就活なんかはとくにそれが顕著であるような気がする。そんなことを僕は思っていた。

明確でないこと不分明なこと時間のかかることにこそ本当に重要なことが含まれている(と僕は思う)のに、そうしたことがないがしろにされがちな世の中の動きを象徴しているみたいだと、就活に関して感じていた。

経験もしていないのにそうだと決めつけてハナから就活を放棄することに関して我ながらどうなのよという思いも多分にあったが、ともかくあのときの自分は合同説明会の会場で感じた気分の悪さ、耐えがたさのほうを信じた。そして僕は個人的就活と称して小説を書くことを選んだ。

結果的に、そのときに書いた『気障でけっこうです』という小説で幸運にもデビューすることができた。これは突拍子もない壮大なホラ話みたいな、ある意味馬鹿げた小説なのだが、書いているあいだは自分をぺしゃんこに押しつぶそうとする巨大なタイヤに追われているような必死さで、藁にもすがる思いだった。誰もが当然のようにやっている就活すらまともにできず、そこから逃げたのだから、ここに賭けるしかない。そう思い込んでいた。

生きるために、できることをする

当時は、日本語を知っているし言葉が好きだし、少なくとも自己PRよりは文章を書くことのほうが自分に向いているに違いない、というだけの思いで小説を選んだ。

何作か書くうちに、小説とは本来的に明確さや即効性とは真逆の性質をもつものだと気がついた。コミュニケーション能力至上主義や、わかりやすさ/明確さ重視の速度の速すぎる世界についていけない人の救いになる側面も持ち合わせているようにも思えた。

当時の僕が書くことを選んだのは自然な成り行き、むしろ無意識にそこに引き寄せられた結果だったのかもしれない。というのは完全な後づけだ。僕は協調性も忍耐力もコミュニケーション能力も努力を惜しまないひたむきさも持っておらず、逃げてばかりのひどい人生を送っているが、ものごとをあとから自分に都合よく解釈する能力には長けていて、それをいとわない。生きるために。

自己PRができない、したくないというのを理由のひとつに就活を放棄した自分だが、たまに自著をPRする文言を求められることがある。手に取って読んでもらえれば、欲を言えば、それぞれに何かしら感想を持ってもらえればこれほど嬉しいことはない。としか思っていないので、僕はいつも困ってしまい、相手の方も困らせる。そういうときに簡潔で、かついい感じのコメントをしたいが自分にはとても難しい。

そもそもそれが咄嗟にできるような人間だったらたぶんこうして文章を書いていないだろうなあと思う。

小嶋陽太郎 1991年長野県生まれ。信州大学人文学部在籍中に書いた小説『気障でけっこうです』で第16回ボイルドエッグズ新人賞を受賞し、デビュー。最新作『友情だねって感動してよ』は6編の小説集。「友達ができない幼馴染にケアしてあげている自分」に酔っていたり、幼馴染の親友を好きになってしまって戸惑ったりする女子高生たち、親しかった幼馴染の女子が強烈ないじめっ子になっても何も言えずにいる男の子、5年付き合った大好きな彼女に失恋した大学6年生、「自分で決断」を許されないままに社会人になったOL、人形と毎日お弁当を食べる同級生が気になって仕方ない優等生の男子高校生……誰もがどこかに自分や周りをみつけ、ほんのちょっとしたことで人生悪くないと思えることを教えてくれる小説集だ。