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「自己PR」できない…自分のダメさを熟知する僕が就活せず選んだ道

コミュニケーション能力なんてないから

就職活動のルールが変わる方向だ。経団連の中西弘明会長が2021年入社以降の学生を対象として、就職活動のルールを廃止する可能性に言及したのだ。より多様な就職のあり方が求められている証拠ではないだろうか。

世の中は積極性があり、交渉力があり、コミュニケーション能力のある人ばかりではない。現在27歳の小嶋陽太郎さんは、中高生のときに寝てばかりで、「成績最悪の」生徒だった(このことは過去の記事に詳しい)。

そして自分に「就活に向いている特長」が一切ないことを心から知っていた。その小嶋さんがどうやって生きようと考えたのか。その体験から、様々な道の可能性が見える。

家族から総スカンを食らった日

大学三年のとき、十二月になってすぐに「就活解禁」という文言の印刷された旗が大学構内のいたるところに出現して冬の風にバサバサと揺れていた。ああ就活か、と思っただけで、それが自分に関係のある言葉だとは思わなかった。大学院に進むからでも家業を継ぐからでもない(うちに家業はない)。ただ漠然と、自分は就活はしない、と思っていた。

三年の終わりころ、就活をする気配がない僕を見かねた親に、どうするつもりだと言われたことがあった。就活をするつもりはないと僕は言った。代わりに小説を書いてどうにかしようと思っている、一年のあいだになんとかする、と。

父親をのぞく家族(うちの家族構成は父母姉姉僕)は何をふざけたことを言っているのかと代わる代わるまくしたてた。なぜいま小説を書く必要がある? どうしても小説が書きたければ就職したあと働きながら書けばいい。しごくまっとうな意見だった。

四年になった僕のすべきことは卒論の執筆と就活だった。僕は毎日自室にこもってノートパソコンを叩きつづけた。卒論を書いているふりをして小説を書いた。

 

初めて行ってみた就職説明会

実家暮らしだったので家族の目は常にすぐそばにあった。短期的な平穏を得るために、同時にポーズをとる必要があった。とにかくおまえは一度説明会に行け。行って話を聞けば多少なりともイメージが湧いて就活をやろうという気持ちになるかもしれない。そうはっぱをかけられていたこともあり(一理あるとは思った)、あるとき、駅近くのホテルで行われた地元企業の集う合同説明会にスーツを着て出かけていった。

会場には何十もの企業のブースがあり、それぞれのブースの前に僕と同じようにスーツを着た学生が何人もパイプ椅子に座って説明を受けていた。人気らしい企業のブースには立ち見の学生もいて、手を挙げて何か質問していた。なぜか耐えがたい気分になり、一度も立ち止まることなく会場をぐるっと一周し会場の外に出た。エスカレーターに乗り、帰ってまたパソコンを叩いた。

地元企業の合同説明会で、立ち止まることなく会場をぐるっと回って帰った Photo by iStock

小説を書くと打ち明けたとき、母からか姉からか、その両方からか忘れたが、僕はこんなことを言われていた。

急に小説を書くと言い出したが、本当に小説を書きたいのか? それは就活を避けるための方便ではないのか?

僕はそのとき、その問いに対して何かしら言葉を尽くして否定した記憶がある。

でも本当はそのとおりだった

僕は小説家になることを昔から夢見ていたのでも、小説を書くことが好きで好きでたまらないのでもなかった。ただただ就活をしたくなかった。とにかく就活を避けたかった。だから何か代わりに自分にできることを見つけなければならなかった。それは何かと考える中で行き当たったのが文章を書くことだった。