ネットに溢れる「ステレオタイプ」と「バイアス」ここが違います

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール

ネットの奥底にある傾きと偏り「バイアス」

ここでイニスが言う「コミュニケーションのバイアス」を、同書の訳者である久保秀幹は「コミュニケーションの傾向性」と訳している。あまりこなれないが、穏当な訳だろう。

バイアスは特性とも訳される。しかしイニスのバイアス概念が、テレビが視聴覚メディアで新聞が活字メディア、パソコンはビジネスパーソンがよく使い、Instagramは若者に人気であるといった程度の、表面的なメディア特性を意味していないことには注意を要する。

イニスはもっと深いところ、一つの文明の情報コミュニケーション基盤としてのメディアがはらんでいる様態を指しているのだ。

イニスのバイアス概念を思うとき、私は自分が川で泳ぐ光景を脳裏に浮かべる。

川Photo by Dong Zhang on Unsplash

自然の川の水深は平坦ではなく浅かったり深かったりするうえ、川底は砂や砂利であったり、時に岩がゴロゴロしていたりと変化に富んでいる。

こうした川底の様子は、水面付近を泳ぐ私にはわからない。しかしたとえば川を横切ろうとするとき、私はある場所で流れが速くなったり、別の場所では知らないうちにどんどん流されたりと、思うようにならない経験をする。私の泳ぎは水の流れが川底の傾きや形状の変化によって複雑な動きをすることに大きく左右されているのだ。

この川を、たとえばSNSのタイムラインに置きかえ、私の泳ぎを情報検索やら表現に置きかえてみたらどうだろう。SNSやGoogleの奥底にある傾きや形状の変化こそがバイアスだと言える。

新たな時代のリテラシーとは

現代のネット・コミュニケーションは、マスコミュニケーションの時代に比べてはるかに多くのメディアが併存し、多種多様な情報が一般の人々を介して展開されている。

そうした時代に先入観に満ちた情報が拡散され、人々が自分が好きだったり都合のいい情報の島宇宙にグループ化されていくのはなぜなのか。

一つは、メディアや情報が多くなればなるほど、人々が忙しくなればなるほど、人々は情報圧縮されたステレオタイプに依存するようになるからだ。

しかしそれだけではない。もう一つは、ネットという大河において、ステレオタイプをはらんだ情報の流れの奥底にある傾きや形状の変化、たとえばGoogleという検索エンジンのアルゴリズムや、SNSのタイムラインのデザインなどが、それらを利用する資本の論理と結びついて、現代メディアに特有のバイアスを生み出しているからだ。

ネット・コミュニケーションにおいて私たちが先入観から自由になることはできない。

ただ、先入観をステレオタイプやバイアスといった概念に変換し、腑分けしてみると、その複雑な働きに気がつくことはできる。そしてその気づきを、家族や友人、同僚と分かち合うことはできる。

新たな時代のリテラシー(読み書き能力)は、そうした営みからはじめなければならない。

参考文献:
ウォルター・リップマン著/掛川トミ子訳『世論』(上下巻)岩波書店、1987年(原著:1922年)
総務省編『平成30年度版情報通信白書』2018年
ハロルド・イニス著/久保秀幹訳『メディアの文明史:コミュニケーションの傾向性とその循環』新曜社、1987年(原著:1951年)

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