ネットに溢れる「ステレオタイプ」と「バイアス」ここが違います

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール

どの国よりも受け身な日本人

2018年度版の情報通信白書(総務省)によれば、日本人は他国の人々に較べ、SNSを使って議論をしたりコミュニケーションをするよりも、ネット上のマスメディアやショッピング情報などを受け身で受容する傾向が著しく高いという。

なぜそうなのかはここではおいておく。ポイントは、日本人の多くが、マスメディア的な情報、すなわち企業のプロが作ったメッセージを、他国の人々にも増して浴びるように享受しているらしい、という点にある。

この享受の過程で、私たちは二重のステレオタイプを受け取っている。一つはマスメディアや企業が介入するがゆえの資本主義的なステレオタイプ、もう一つは情報圧縮の産物としてのステレオタイプだ。

じつは後者はマスメディアの時代にはあまり重視されてこなかった。情報量が今と較べればずっと少なかったからである。

上述したように、リップマンは、情報圧縮の産物としてのステレオタイプ自体は問題とはしておらず、それらの一部である、マスメディアが生み出す資本主義的なステレオタイプの問題に目を向けていた。

今日でも、この資本主義的なステレオタイプの問題は依然として大きい。しかし個別メッセージの内容上のステレオタイプよりも、大量情報が次々と情報圧縮されてステレオタイプが生産され、それらがタイムラインで拡散していく、その仕掛け自体がより深刻な問題となっているのが、今という時代なのではないだろうか。

メディアのバイアスが、社会体制を変化させる

そこで先入観を意味するもう一つの英語、バイアスの登場となる。ものごとを硬い鋳型で枠づけるというのがステレオタイプのニュアンスだったのに対して、バイアスはものごとの傾きや偏りを意味する言葉だ。

この言葉を鍵とするメディア論の古典が、カナダの経済史家、ハロルド・イニスの『コミュニケーションのバイアス(The Bias of Communication、邦題『メディアの文明史 コミュニケーションの傾向性とその循環』』である。

イニスは歴史のダイナミズムを、それぞれの文明で人々がコミュニケーションのために用いたメディアの変化に着目して論じた。

ハロルド・イニスハロルド・イニス Photo by University of Toronto Archives

ある時代に繁栄した文明には、必ずそれを支える主要なメディアが存在した。

古代エジプトでは、石碑と象形文字が王権を成立させていた。石は重く、容易に動かすことはできない。そしてその形状は経年変化しにくい。石に人や獣のかたちをした象形文字を刻みつける作業は専門家にしかできず、しかも加除修正はむずかしい。

このようなバイアスから、象形文字を刻みつけた石碑はピラミッドや神殿など、そこに人々が集まらなければ見ることができない場所に置かれることになり、その場所は聖なる空間、王権の中心を形づくるようになった。

いい方をかえれば、石碑と象形文字というメディアが、王権の知識独占を可能にし、中央集権的な文明を生み出すことになったと、イニスは言うのである。

しかし新しいメディアが登場して普及すると、支配的な文明は衰退していく。新たなメディアのバイアスが、それまでの社会体制を変化させていくためである。

石碑は粘土版へ、そして薄くて軽いパピルスへと推移し、それとともにノミから尖筆へ、毛筆へと文字を書く道具が変化する。

文字システムもまた、硬い物質に刻みつけるのに適した象形文字から柔らかい筆で平面に描くのに適したアルファベットへと変わっていった。

その変化は人々の感性や思考様式の変化を伴った。メディアのバイアスがそれぞれの社会の特性を生み出し、新たなメディアの登場は、新たな特性を持った社会、すなわち文明を勃興させる。

古代だけでない。筆写本の出現、活版印刷の発明、そして新聞の登場など、現代にいたるまでそのダイナミズムは見て取れる。イニスは「メディア論的な文明史観」とでも呼ぶべきビジョンを提示したのだった。