ネットに溢れる「ステレオタイプ」と「バイアス」ここが違います

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール
リップマンウォルター・リップマン Photo by Getty Images

リップマンは言う。新聞が提供するのは客観的なニュースではない。日々内外で生じる無数の事件や事故のなかから、限られた紙面に、限られた人員で掲載できるのはごく一部であり、否応なく取捨選択をしなければならないからである。

さらに新聞は読者に読まれ、広告主に媒体としての価値を認めて投資をしてもらわなければ事業として成り立たないため、その記事は受け手のイメージに合致したものとなる傾向がある。

リップマンは、そのようなニュースの取捨選択と記事の生産と消費が、ものごとについてのパターン化されたイメージ、すなわちステレオタイプが存在することによって成り立つことを見抜いたのである。

もともと活字印刷のための鉛の枠組みを意味したステレオタイプという技術用語を、彼は新たなマスコミュニケーション時代のキーワードとして流用したのだった。

ステレオタイプから逃れる方法

リップマンはステレオタイプをただちに悪いものだとは決めつけていない。彼は1922年に『世論(Public Opinion)』を出版し、この概念を用いて20世紀社会のコミュニケーションを論じた。

マスコミュニケーション論、ジャーナリズム論の古典とされるこの本をあらためて読んでみると、ステレオタイプは、人々が自らを取りまく多様なできごとを効率よく理解するためのパターン化されたイメージとされている。ステレオタイプは情報圧縮の産物だというのだ。

しかしそのパターン化、情報圧縮が、一般の人々によってなされるのではなく、新聞のような巨大で複雑な機構体によってなされる場合に問題が生じる。

人々は、現実に生じたことがらのステレオタイプ化されたニュースを見聞すると、その現実に対してではなく、ステレオタイプとしてのニュースに反応してしまう。人間、現実、ステレオタイプの三角関係の中で、人は現実に的確に対応できなくなってしまうというのだ。

リップマンはステレオタイプから逃れるいくつかの方策を示している。

一つはさまざまなメディア情報を突き合わせることによって、一つのステレオタイプが抱え込む矛盾を見出すこと。

もう一つは、社会のさまざまな領域に情報を実証的に分析する組織を立ち上げ、それらの客観的なデータを元に議論を展開することだ。

リップマンは『世論』でマスメディアやジャーナリズムを論じていると言われるが、よく読んでみれば情報、コミュニケーション、メディアに着目した社会全体のデザインまでを射程にしていたことがわかる。