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稼いだカネは全部寄付、家も車も持たない…寺田倉庫社長の変な人生

「何も持たない」異形の経営者に学ぶ
週刊現代 プロフィール

建築家の隈研吾氏や寺田倉庫のオーナーが明かす

中野氏は、私生活でもミニマリズムを通している。家も車も腕時計も持たない。ワインを手がけるのに、酒も飲まない。もちろんタバコも吸わない。

蓄財にも興味がなく、稼いだカネは必要最低限を残して、ほとんどを寄付してしまうというのだ。中野氏の親友で建築家の隈研吾氏が言う。

「そもそも彼には公私の区別などないはずです。自分の好きなことや、やりたいことに仕事もプライベートも関係ない。街づくりやアートの支援に稼いだおカネを寄付してしまうのも、自分の夢がそこにあるから。

自由奔放に見えるけど、経営センスもあるのだから、ドリーマーにして、リアリスト。あまり日本では見たことのない経営者です」

中野氏は'44年生まれ。学生時代はバットを握ったら離さない野球少年で、プロを志向していたこともあったという。千葉商科大学の野球部時代は海外遠征にも臨んでいる。だが額にボールが直撃する大ケガが原因でそっとバットを置いた。

 

大学を卒業すると、伊勢丹に就職した。5年後に退社し、婦人服専門店としてバブル時代のファッションをリードした「鈴屋」に転職し、バイヤーとして頭角を現す。

日本初のファッションビル「青山ベルコモンズ」の開設にもかかわり、鈴屋では代表権を持つ専務にまで昇格した。

「様々な企画を実行し、他社との共同事業もたくさんやっていた。海外展開も主導し、鈴屋ブランドで権勢をふるっていましたね」(当時の知人)

ところが財テクブームに傾注した鈴屋はバブル崩壊とともに、破綻への道を辿る。

'91年、鈴屋を辞した中野氏は、今度は台湾に渡った。大手財閥が率いるコングロマリット「力覇集団」のオーナーに呼び寄せられたのだ。

「鈴屋で海外出張を行っている際、たまたま力覇のオーナーが中野氏の講演を聞いて、スカウトしたそうです。ファッションブランド経営のノウハウが買われ、実際に百貨店経営で手腕を発揮した。

'02年には別の財閥『遠東集団』の百貨店事業を担い、ここでも結果を残しました。彼は台湾の2つの財閥に愛されたわけです」(台湾の流通関係者)

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実は彼の経営センスに注目していた人物は日本にもいた。それが寺田倉庫のオーナー、寺田保信氏だったのだ。

寺田氏が本誌に語る。

「中野さんとは、彼が鈴屋時代にアートや建築デザインの話でよく盛り上がったんですよ。もう30年以上、家族ぐるみの付き合いをしてきました。

彼が台湾に渡ってからも、ちょくちょく現地に遊びに行って、彼の活躍を見ていたのですが、寺田倉庫に転機が訪れたと考えて、彼に言ったんです。『そろそろ日本に帰ってきてくれないか』と」