菅義偉官房長官は後藤田正晴と野中広務を超えたか

安倍首相も恐れる「陰の総理」
週刊現代 プロフィール

凄まじい情報収集能力

菅は梶山とともに、一度は「散った」政治家だった。'98年の総裁選で、梶山が小渕派(平成研)を飛び出して無派閥で出馬すると、菅も一緒になって派閥を離脱し、総裁選を戦った。だが結果として梶山は小渕恵三に敗れ、2年後に亡くなる。

菅の友人議員が言う。

「菅さんには、無念の思いがあるだろうね。『俺の戦いは、あの総裁選で終わった。だから今は官房長官でも、黒子に徹する』と言っていました」

平成研支配の時期に、当選1回に過ぎなかった菅が梶山とともに「負け戦」を戦ったことは、いまや伝説だ。だからこそ、志半ばで世を去った師と、同じ轍は踏むまい――。

官房長官としての範は、むしろ後藤田正晴に求めていると言われる。「現場に任せず、即断即決」だ。

'86年11月、三原山が噴火した際の官房長官・後藤田の動きは素早かった。

「島民は今日中に全員避難」「責任は全部俺が取る」「君たち、頼むよ」

3つだけを官邸で官僚に指示すると、海保庁の巡視船から民間の漁船までを使って全島避難を敢行し、喝采を浴びた。

菅が官房長官として初めて名を上げたのも、似た状況だった。'13年1月に起こったアルジェリア人質事件では、日本人退避のために現地に政府専用機を飛ばすことを命じた。

前例のない派遣に、防衛省も財務省も外務省も、みな反対したが、菅は押し切り、後藤田同様世論の支持を得た。

 

菅の口癖は「やれることはすべてやる」だ。官房長官になる5年前、総務大臣として「ふるさと納税」を官僚の抵抗を押し切って実現させている。

「官僚は『受益者負担の原則に反する』と抵抗しましたが、『人生を通じた受益者負担という考えもある』と説得したのです」(政治部デスク)

即断といっても、思いつきで動くわけではない。確実な情報収集と根回しこそが、菅の真骨頂だ。

朝5時に起床し、新聞全紙をチェックすると、日課の散歩の後、7時からはザ・キャピトルホテル東急に向かい、個室で朝食会を開く。呼ばれるのは番記者だけでなく、フリージャーナリストから若手官僚、学者まで幅広い。

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夜の会合を2度にわたって行うこともしばしばだ。夜10時には帰宅し、議員宿舎で記者懇に応じるが、それが禅問答のような会話になることが多いのには理由がある。

「記者と話して、世論の空気がどうなっているのかをじっと観察するんですよ。起きてから寝るまで、すべてが情報収集の時間だ」(官邸職員)

その前提になる「気配り」は欠かさない。安倍批判をし続ける議員の事務所にも「菅義偉」の名前で誕生祝いの花が届く。

1回生の無派閥議員に対しても、「なにかしてほしいことがあれば言ってくれ」と電話をかけ、望み通りに地元パーティに出席し、スピーチをする。

年末恒例の記者会見が終われば、車中からフリージャーナリストに次々電話をかけ「今年もお世話になりました」と挨拶をしていく――。

「後藤田さんも、内調(内閣情報調査室)経由の情報はもちろんたくさん持っていたのですが、民間の情報はあまりなかった。福田康夫さんなどは、霞が関で集めた情報が多かった。その点、菅さんは、普段から多種多様な人脈で情報を集め続けている」(前出・田崎氏)

いつの間にか、「菅グループ」と呼ばれる議員たちも続々と増えてきた。

「ガネーシャの会や偉駄天の会、あるいは秘密裏に開かれる若手議員の会など、鵺のような会を多数組織し、その全貌は把握しきれない。

会合には、『これは』と目をつけた若手官僚も呼び、若手議員とのパイプ役を作っている。ここで菅さんに認められれば、政務官や副大臣のポストにありつける」(若手議員の一人)

菅の会に出席したことのある経産官僚も言う。

「相談事や悩み話すら、菅さんはよく聞いてくれる。こっちも忙しいから、政治家の勉強会なんて行きたくないが、菅さんの場合は別。下手な大臣よりも真意が伝わる」