平成最後の夏に大阪・富田林署で発生した、凶悪犯の脱走劇。一刻も早く逮捕しなければ、市民に危険が及んでもおかしくはない。だが、男は巧妙に逃走を続ける。現場で追う大阪府警の苦悩とは。
大阪府松原市にある広大な田んぼに面し、人通りのほとんどない区画に、樋田淳也容疑者(30歳)の実家はある。その前に、大きなグレーのワゴンが1台、エンジンをかけたまま停車していた。
8月も終わりとはいえ、連日30度を超える酷暑が続く。辺りに高い建物はなく、日差しを遮るものはない。4人の捜査員はワゴンの中で互いに一言も口を利く様子もなく、まっすぐに前を見つめている。
記者が横を通り過ぎると、「またお前らか」と言わんばかりに睨みつけられた。
「家の前にいたって、今さら樋田が来ないのはわかりきってる。でも、いまはこれしかできないのが現実や……」
憔悴しきった表情で、捜査員のひとりはこうこぼした。
2週間前、事件発生時にさかのぼる。
「逃走、樋田淳也!」
8月12日の22時、大阪府・富田林署に非常ベルが鳴り響いた。
逃走?なぜ?通信指令室による放送を聞いても、何が起こっているのかわからず、警察官たちは呆然としていた。
「とにかく動け!」
当直担当の課長が血相を変えて叫ぶ。警察官はいっせいに署内の捜索をはじめた。しかし、彼らは事態を甘く見ていた。
「ここは警察署やぞ。外に出るまでに2重、3重の塀がある。逃げられるわけないやろ」
しかし、実際に樋田は逃走に成功した。署員の白いスニーカーを盗み、塀を乗り越え、富田林市内に紛れ込んだ。そしてすぐに赤い自転車を盗むと、そのまま姿をくらましてしまったのだ。
通常、警察署から容疑者が逃走すれば、その都道府県内の全域、そして近隣地域にまで、即座に緊急配備がかけられる。
だが、樋田の逃走に対して富田林署、そして大阪府警がとった対応は「大阪府南部の緊急配備」だけだった。大阪北部の署員が内情を話す。
「富田林署からの『樋田脱走』の連絡は、当初、府警本部と、近隣の警察署にしか回らなかったんです。ウチにきたのは翌朝でした。
府内全域には緊急配備は敷かれていなかった。逃走という現実離れした出来事に対し、『どうせ徒歩やし、すぐ捕まるやろ』と、のんびりと構えていた部分はあった」
これが「悪夢」のはじまりだった。発生から2週間以上が経過した8月30日現在、大阪府警は毎日3000人を動員して捜索を続けている。
これまでに捜査に当たったのは、のべ4万人以上にものぼる。それでも、樋田の足取りは、ほとんど掴むことができず、疲労だけが重なっていく。