「もし私が翁長(雄志)さんと同じ病に冒されたら、静かに緩和治療を始め、残りの人生でやり残したことをやると思います。
しかし、私がもし翁長さんと同じ立場、つまり沖縄県知事だったとしたら、翁長さんのように手術を選択したでしょう。
『がんをすべて摘出しました!』と訴えることができれば、知事選の際に大きなアピールになる。彼には次の選挙に出ないという選択肢はなかったと思いますから……」
そう話すのは、8月8日に他界した翁長氏と10年来の知人だった、「本郷赤門前クリニック」院長の吉田たかよし医師。
第2章では、80代、90代の高齢者が手術を受けることには、いかに大きなリスクがあるかということを見てきた。
しかし、膵臓がんのような難しいがんの場合、60代でも、手術がうまくいく可能性は極めて低い。翁長氏は、享年67。リスクを抱えながら、なぜ彼は手術に踏み切ったのか。
経緯を振り返ろう。翁長氏が自身のがんを公にしたのは今年4月のこと。人間ドックを受診した際、膵臓に腫瘍が発見されたという。無論、沖縄政界に激震が走った。
4月時点で、翁長氏は約8ヵ月の任期を残しており、秋にも県知事選が行われる予定だった。
野党・自民党が県政奪還を目指すなか、共産党・社民党などで結成される「オール沖縄」は、「2期目も翁長」で一致していた。
そんななか、翁長氏が再選はおろか、任期を全うできるかも不明という事態に陥ったのだ。しかし、翁長氏は担当医を伴った4月の会見で「根治する方向で治療できる」と明言。すぐに切除手術を受けることを発表した。
「翁長氏が手術を受け、完治する可能性があると発表したことは、あの時点では政治的に非常に大きかった。
2月の名護市長選で革新派候補が敗れていましたし、これで翁長氏が辞任という事態になったら、辺野古移設反対派は壊滅的な打撃を受けるところだった。翁長さんの会見の後、県政幹部たちが安堵の表情を浮かべていたのを覚えています」(沖縄県政関係者)
そして、4月下旬に手術は行われ、約3cmの腫瘍を切除。「ステージⅡ」と診断されていたこともわかった。
だが、そこからは坂道を転がり落ちるようだった。会見などに出席する翁長氏が日に日に痩せ細っていく姿を記憶している人も多いだろう。そうして、手術から約3ヵ月半後に翁長氏は他界したのである。