ドキュメント・大塚家具の最終局面「そして、みんな去っていった」

あれから3年。わずか3年…

どんな大企業でも、一度歯車が狂えば取り返しのつかないことになる。ましてや血縁でこじれればなおさらだ。「身売り」秒読みの大塚家具が演じてきた、日本経済史に残る「父娘ゲンカ」の末路とは?

まだ、辞めたくない

8月14日、15時15分。大塚家具が発表した上半期決算は、目を覆うばかりの大惨事だった。

3期連続の大幅な減収減益、赤字は20億円にのぼった。2015年には100億円以上あったキャッシュが20億円にまで減り、大手企業では異例の「ゴーイングコンサーン注記」の記載もあった。

これは、「このままの業績が続けば、会社が潰れるかもしれない」という危険なサインである。

こんな特記事項を出さざるを得ない状況にもかかわらず、記者会見はなし。社長の大塚久美子氏(50歳)は公には姿を現さなかった。

「なにがあっても、いまは辞めるつもりはないわ」

江東区・有明の本社オフィス。階下のショールームはお盆休みにもかかわらず、客はまばらだ。

それでも、久美子氏は側近に対し、気丈にふるまった。もはや古株社員にも味方は少なく、久美子氏が唯一気を許せるのは、社外から登用した旧知の仲の役員だけだ。

「脇を固めるのは、久美子氏の一橋大学時代の同期や、旧友たち。朝令暮改で社員を振り回す久美子氏を『Qさま』と揶揄する社員もいますよ」(大塚家具元幹部)

 

創業家として、会社と心中してでも社長のイスにすがる、哀れな「家具や姫」と世間の目には映るかもしれない。社長を最後まで支えるはずの「チーム久美子」からも、櫛の歯が欠けるように人が抜けていく。

「側近たちは、大塚家具プロパーどころか家具業界出身ですらない人がほとんどで、経営のコンサルティングはできても生粋の『家具屋』ではない。

久美子社長とはお友達のよしみで手伝っているところも多いのでしょうが、大塚家具とともに身を亡ぼすつもりはないでしょう」(業界紙記者)

時計の針を、2015年の「あの日」に戻そう。株主総会でのプロキシファイト(委任状闘争)で、創業者であり実父の勝久氏を追放し、経営権を掌握した日だ。

「総会後はノーサイド」久美子氏は総会後の記者会見でこう話したが、「今日に至るまで父との会話はない」(長男・勝之氏)。実際、プロキシファイト以降は、久美子氏が一方的に勝久氏を突っぱねる、というかたちのさや当てが続いた。

「このままでは久美子のためにもならない」

勝久氏はそうハラを決め、大塚一族の資産管理を行う「ききょう企画」の社債償還を求める訴訟で娘に対峙した。

経営権をめぐる父娘ゲンカが、家族の資産管理会社の運営にも飛び火する事態に発展したのだ。裁判の結果、久美子氏は15億円を支払う。先の株主総会では敗北した勝久氏が一矢報いるかたちとなった。