災害予測やAIが候補にならない…「ノーベル賞」は時代遅れか

「人類への偉大な貢献」が対象のはずが
佐藤 健太郎 プロフィール

涙をのんだ第4の男

しかし、あくまでノーベル賞の枠は一分野3人までだ。このため近年では、大きな貢献をしながら涙を呑んだ研究者も多くなっている。「緑色蛍光タンパク質(GFP)の研究」に対して与えられた2008年のノーベル化学賞は、その典型だ。

GFPは、紫外線を当てると緑色の光を放つ、特殊なタンパク質だ。細胞にGFPの遺伝子を組み込むと、GFPタンパク質が発現して緑色に光るようになり、内部の構造や動作の様子を観察できるようになる。iPS細胞の開発や、医薬品研究にも大きく貢献した素晴らしい技術だ。

このGFPの技術が完成するまでには、大づかみにいって以下のような経過をたどった。
(1)下村脩が、オワンクラゲからGFPを発見
(2)ダグラス・プラッシャーが、GFPの遺伝子配列を決定
(3)マーティン・チャルフィーが、GFP遺伝子を生物に組み込み、光らせることに成功
(4)ロジャー・チェンが、GFPを改変して青や黄色に発光するタンパク質を創成

この4人の、どの功績が欠けても現在のGFP技術は存在しない。しかし、ノーベル賞の椅子は泣いても笑っても3つだけだ。

2008年のノーベル化学賞受賞者、ダグラス・プラッシャー氏が洩れた 画像/Nobelprizes.orgより

ノーベル賞委員会はこの中からプラッシャーを外し、他の3人に賞を贈る決定を下した。審査過程は50年間非公開なので、どのような審査がなされたかはわからない。だがプラッシャーの貢献は不可欠なものであるし、大切なGFP遺伝子を快くチャルフィーとチェンに渡したのも彼だ。チェン自身、「受賞の知らせを聞いて、なぜプラッシャーでなく自分なのか疑問に思った」とコメントしている。

受賞決定時、プラッシャーは研究資金が続かなくなってアカデミアを去っており、時給8ドル50セントで車の運転手をして食いつないでいた。彼は「3人の受賞を心から祝福する」と述べつつ、「研究のことを忘れてしまう前に、どこかで研究職に戻りたい」と悲痛なつぶやきを漏らしている。

この後2012年から3年の間、彼はチェンの研究室で職を得たというが、もしノーベル賞の栄冠が彼のもとに舞い降りていれば、状況はずいぶん違ったことだろう。

 
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