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城の魅力も足元から!「陰の仕事人」石垣についてとことん語ろう

ああ、この石垣は私だ……

「光の当たらない仕事人」

いま城を訪ねてすてきな時間をすごすことは、趣味のひとつとしてすっかり定着した。

芸能人が「趣味は城歩き」と語るのも見慣れた光景になった。そうした城歩きで多くの方が注目するのは、天守や櫓、門などの城郭建築だろう。天守や櫓はわかりやすくてかっこいい。いわば誰もが認める「チーム城」のエースといえる。

しかしサッカーがストライカーだけで成り立たないように、城も建築だけでできたのではなかった。

城郭建築の足元に注目してほしい。派手さはなくても建物を支えた石垣が頑張っているのに気がつくはずである。石垣があるから天守も櫓も空にそびえた。「天守や櫓が城」と公言している人、公言してなくてもこっそりそう思っている人は、この際少し反省してほしいと思う。

光の当たる道を歩む人は耀いて見える。しかし光は当たらずとも、まじめに黙々と仕事をする人がいて、世の中ははじめて成り立つ。そこに思いを致せば「ああ、この石垣は私だ」という共感が、あなたと石垣とを固く結ぶ。そして城にとって石垣の重要さは、決して天守や櫓と比べて劣らなかった。

近年、石垣の調査と研究は飛躍的に進んでいる。二〇〇八年、戦国時代以来の石垣技術を保存・継承する団体として、文化財石垣保存技術協議会(事務局・姫路市、日本城郭研究センター内)が発足し、二〇一二年、文化庁は伝統的な石垣を積む技術をもつ卓越した石垣技術者を「選定保存技術保持者」に選んだ。

城に残る石垣はもちろん、石垣を守り、積む技術そのものを文化財として高く評価する時代になったのである。

「石垣メンテナンス」の歴史

石垣に注目すると新たな発見がある。自然石を積んだものから、精緻な切石を積んだものまで、石垣はひとつひとつ異なり、石垣の違いは時代と社会の変化を物語る。

直線の石垣や曲線の石垣、石垣の隅の積み方、火災痕跡や改修痕跡など、石垣は、旅行ガイド本ではわからない城の歴史にあなたを導く。

石垣をつかむことは、城を守り活かすためにも重要である。二〇一六年の熊本地震で、熊本城の石垣は五〇〇箇所を越える被害を受けた。これ程の規模で文化財石垣が被害を受けた先例はなく、熊本城調査研究センターを中心にして調査と修復がつづいている。

私も文化財修復検討部会の委員としてお手伝いをさせていただいているが、石垣が崩れて内部の構造が見えたことで初めてわかったことも多い。

熊本城/photo by Istock

たとえば熊本城といえば加藤清正の「清正流石垣」が有名だが、実は加藤家の後を継いで熊本城主になった細川家が修理した石垣がたいへん多い。細川家が幕末まで石垣をしっかりとメンテナンスし、的確な修理を重ねたから、私たちは熊本城を体感できた。

これまで細川氏の石垣を評価できなかったのは、熊本城=清正の石垣と思い込んできたからである。このように石垣の違いをつかみ、熊本城をはじめとした日本各地の城に残る石垣の変遷史を読み解けば、評価を一新する城もあると思う。石垣なんてみんな同じと考えた視点では、指の間から落ちていく歴史をすくい上げられない。