離婚をして2回目の春。進学で東京を離れることになった末娘から手紙をもらった。かわいらしいメッセージが並ぶなかに、こんな一文があった。
「離婚したと聞いたとき、はじめはふざけんな! と思ったけど、いまになってみると2人とも私の両親には変わりないし、パパとママが家でケンカしているよりずっといい状況になったし、それぞれ幸せになろうと頑張っているのをみると、これでよかったんだ、って思える。だから全然気にしないでね!」
夫の機嫌を伺い、NOと言えず、話し合いができない25年間を送り、話し合いを求めたときには暴力も受けた。その詳細は過去の記事に詳しい。結果、藤野さんは50歳を目前に離婚しする決意をしたが、なによりも子どものことだけが気がかりだった。子どもがいるから離婚できない。そういう主婦は少なくない。果たして、藤野さんの子どもたちにとって、「親の離婚」とはどのようなものだったのだろうか。
離婚して家を出たとき、3人の子どものうち末娘はまだ高校生だった。本当は高校を卒業するまで家にとどまりたかったが、どうしても無理だった。かといって、私学に通い個室もある生活を奪って、郊外の安アパートに連れて出るわけにもいかない。訊ねれば、いやだと言っただろう。
子どもに初めて離婚の話をした日
離婚を決めたのはわたし。だから、わたしが子どもに伝えた。父親の悪口にはならないように気をつけながら、わたしらしく生きられない結婚生活の辛さを話した。25年間、どんなことにも話し合いを一切、拒否されたこと。気に入らないことがあると長い間、無視されたこと。わたしがずっと夫の機嫌を取って生きていたことに気づいたこと。外に勤めに出ることをいやがり、フリーライターという仕事柄必要なのにスマホを買ったら激怒したこと。――殴った夫が手指を骨折するほどの力で激しく後頭部を殴られたことは、言えなかった。
はじめに伝えたのは末娘。幼げな彼女が心配だった。1人移り住んだアパートに呼び、ベッドの上で膝枕をしながら話した。じっと聞いていた彼女はポツンと、「パパ、冷酷なとこ、あるもんね」。
そんなふうに思っていたのか。元夫はやさしい父親だったし、わたしはとことん父親として立てていたから、子どもはみんな父親が大好きなのだと思っていた。無条件で慕っていると思い込んでいた。
考えてみれば、子どももばかではない。ときどき家のなかに、ピッと緊張感が走ったことを思い出す。わたしがうっかり元夫に意見しようとしたときだ。子どもはわたしに「余計なことは言わないで」と目配せをした。子どももまた、父親が機嫌を壊し、家のなかが暗くなるのがいやだったのだ。
それでも、と彼女は言った。「パパもママも大好き。だから、おうちに戻って欲しい」
「どうしても無理なの」
「なんで?」
言うべきか迷った。まだ高校生、女子校だからおそらく初恋もまだだ。そんな彼女に伝えていいのか悪いのか。でも、いつまでもごまかし続けるわけにはいかない。
腹をくくった。親と子ではあるが、一人の人間として誠実に向き合おうと思った。
「いま、好きな人がいるの。だからもう、戻れないの」
彼女は、あきらめたように「知ってたよ」と言った。そして、大人びた口調で付け加えた。
「ちゃんと言ったね。えらい」