9月11日 日本初の公衆電話機が設置される(1900年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1900年のこの日、東京の上野駅と新橋駅に、硬貨を投入すると通話ができる公衆電話が5台設置されました。そのため、今日は「公衆電話記念日」とされています。

ちなみに、1900年(明治33年)の電信・電話に関しては、無線電信の成功、札幌で電話が開通、関門海峡で海底ケーブルが施設される、などとなっており(NTT東日本資料より)、けっこう早い段階で設置されたことがわかります。

この電話機は、投入された硬貨の種類に応じて異なる音が鳴るしくみになっており、電話を掛けたいときには、まず最初に交換手を呼び出し、つづいて必要な料金を投入します。交換手は音を聞いて硬貨の投入を確認し、手動で通話先に接続するというものでした。

「自働電話(アメリカの街頭電話に表示されていた『オートマティックテレホン』をそのまま直訳したといわれています)」と呼ばれていたわりには、あまり自動化されていなかったみたいですね。

自働電話横浜の山手公園に復刻された「自働電話」ボックス Photo by PhotoAC

料金は5分の通話で15銭(郵便はがき一通の10倍の値段)、さらに、交換取扱者(交換手)がミスをすれば、再度硬貨を入れなければならなかったため、使用する人は少なかったようです。

5銭、10銭と2つの硬貨投入口があり、料金が落下する途中、5銭はゴング(チーン
という音) 、10銭はらせん状の鐘(ボーンという音)を鳴らし、料金投入を交換手に知らせたということです。

ちなみにこの年の翌月には、京橋に電話ボックスが設置され、さらに3年後の1903年には交換手を必要としない自動交換方式の電話が登場し、正式な名称も「公衆電話」となりました。

【写真】いまも活躍する公衆電話
  数は少なくなったが、いまでも人々の喜怒哀楽を伝え続けている photo by gettyimages