画/おおさわゆう

趣味は手術…「切りたがり屋」と呼ばれた外科医の、とある間抜けな話

覆面ドクターのないしょ話 第31回
刃物を持って、人を切り刻む。イメージするのは殺人鬼ですが、切られた人から感謝される仕事がある。外科医である。当然、感謝されるのは、手術によって病気やケガを治してくれるからだが、なかには治療よりも、切ること自体に魅せられていくタイプがいるらしい。

なぜ外科医は「切りたがり屋」になってしまうのか?

週刊現代の某号に「外科医はやたらと切りたがるから要注意!」というようなことが書かれていた。こういうことを書かれると本当に困る! なぜなら、週刊現代の主張、実は図星だからだ。

 

外科医は「Born to cut」=切るために生まれてきたのだ。外科医を志した頃は、「自分の両の手で患者さんを治したい」と思っていたのが、段々と「切りたがり屋」になってしまう心理がある。

今回は、外科医ならば誰でも最初にメスで切開を加える皮膚を例に挙げて、「切りたがり屋」の心理について考えてみたい。

皮膚には緊張がある。スパッとメスで切ると、皮膚ははじかれたゴムのようにパックリ割れる。一見、皮膚のない部分ができたように見える。それはあたかも「欠損」のようだ。だが、切ってパックリ割れたのと欠損とは違う。切ってパックリ割れた傷は寄せれば縫えるが、欠損は皮膚が足りないのだから、理論的には皮膚移植をしないと傷はふさがらない。

「皮膚欠損」と聞くと色めき立つ集団がある。それは形成外科医だ。彼らは皮膚移植のプロフェッショナルである。

ひと言で皮膚移植と言っても、その方法は数限りなくある。ただ「切って貼るだけ」の皮膚移植、「ボリュームを出す」必要がある皮膚移植、「皮膚が生着しにくい状況」での皮膚移植などなど。

だから、彼らは皮膚欠損の修復方法をワクワクしながらあれこれ考える。もちろん患者さんにとってのベストチョイスを考える。だが毎回毎回同じ方法だったり、古典的な手術だったりでは芸がない。中には、まだこの世の中で使われていない新しい方法を試したいと考えている「切りたがり屋」がいるのも事実だ。

私の推測では、「切りたがり屋」の心理状態は次の3つである。

その1
新しい方法でなくてもいいから、自分が未経験の方法を試したみたいというもの。別の技を身につけ、外科医として成長したいという素直な心から出たものだ。

ふわふわオムレツを例に考えてみよう。ふわふわに仕上げるために、サラダ油ではなくバターを使った。卵を溶くとき、空気をたくさん混ぜた。牛乳を加えてみた。今度は生クリームでやってみた。色々やった。他に方法はないか? 

誰かが「メレンゲを使ってみたら?」と言ったら、試してみたいと思いませんか? 新しい挑戦とは興奮剤のようなもので、別の方法でやりたくなってしまうのです。

その2
世界では既に行われている手術だが、日本では未施行の方法を試したいというもの。世界初とはいかないまでも、学会で「本邦初の報告例」として発表できる。論文にすれば、後に続く人たちが皆、自分の論文を参考文献として引用する。

「日本で最初に報告したのは佐々木である」

カッコいいじゃないか!

その3
それはまさしく「世界初の試み」だ。世界で誰もやったことのない手術……外科医冥利に尽きるというものだ。私だってやりたい! 将来的には欧米の教科書にも「Sasaki ’s method(佐々木法)」として掲載され、長く語り継がれる。

腕のいい外科医ほど「切りたがり屋」になりやすいんでしょうね(photo by istock)

ある学会で、「この欠損に対して、新しい皮膚移植に成功しました」と発表した先生がいた。質疑応答の時間になり、フロアから質疑が相次いだ。

「小さい皮膚欠損ですが、ただ傷がパックリ開いただけでは?」

「寄せてただ縫えばいいのでは?」

発表を聞いていたフロアからは失笑が漏れた。しかし彼は平然と答えた。

「本邦初の方法なので、報告させていただきました」

きっと彼も「やりたかっただけの切りたがり屋」だったのかもしれない。

たとえば、私が優れた治療法を発見し、学会で発表し、論文にしたとする。最初は「スゲェ!」という肯定的反応と「そんなんじゃダメだ!」という否定的反応の両方が見られる。多くの議論の末、他の誰がやっても再現性が確認されて評価が確定すれば、「佐々木法」などと命名され、国内外の教科書に掲載されるようになる。

そんなことを夢見たある先生のエピソードを御紹介したい。