カフェのアルバイトでも「できない子」

調子に乗って痛い目にあったわたしだが、ここで話が終わるわけではない。

わたしはそこから、模索をはじめた。いくら落ち込んでいても、生きるためにはカネがいる。そこで、日本語教師をやったり、カフェでアルバイトをしたりした。

でもそれは、現実を直視するという精神的に苦痛な作業だ。就活せずにわざわざドイツに来たくせに、なんでカフェでアルバイトをしているんだろう。そう自問しなかった日はない。

しかもカフェバイトですら、わたしは無能だった。ドイツ語は数字の読み方が特殊で、「€5,43」を「5ユーロ、3と40セント」と数える。「3と40」という表現に引っ張られて「34」とレジを打ってしまい、おつりを何度も盛大に間違えた。

わたしよりドイツ語ができないオバサンに「この程度の計算もできないの?」と言われたときは、もはや泣き崩れたかった。というか、実はトイレでちょっと泣いた。

ドイツのおしゃれなカフェでアルバイト♡とウキウキ……にはなれなかった Photo by iStock

わたしはなにをやっているんだろう……。そう思いつつ、ドイツでなにも成し遂げていない自覚があるわたしは、ズルズルとドイツで暮らしていた。「失敗しちゃった!」と舌を出して帰国できるほどの素直さもなかったのだ。

「できること」をやってみた

そんなとき、気晴らしにブログをはじめた。1日5人読みに来てくれれば上々、というような趣味ブログだ。

しかし、そこで思わぬ転機が訪れる。「アクセスを増やしたい」とほかの人のブログに寄稿させてもらった記事がBLOGOSやハフィントンポストに転載され、多くのリアクションをいただいたのだ。そのなかには、厚切りジェイソンさんやどこぞの教授もいた。

もしかしたら、わたしの『道』はここにあるんじゃないか? 

もともと、文章を書くのが好きだった。中学校のときの卒業文集には将来の夢を『小説家』と書いたし、作文はいつもクラスで1番早く書き終わっていた。

なにもできないわたしだけど、なにかできるかもしれない。その「なにか」は、もしかしたら文章を書くことなんじゃないだろうか。

そう思い立ったわたしは、ツテも経験もないものの、2016年4月、『ライター』を名乗ってみた。もちろん、仕事などない。他人のブログに投げ銭で記事を書き、クラウドソーシングで割りに合わない仕事を受けた。

その2ヵ月後、バセドウ病が発覚し、バイトを辞めることになる。そのときはドイツで十分生活できる金額(月15万円程度)は稼いでいたから、なし崩し的にフリーランス一本になり、『フリーライター雨宮』が誕生した。

わたしの人生は、そこから少しずつ上方修正されていくことになる。

ライター1年目で東洋経済オンラインに記事を書き、2年目にはハフィントンポストの寄稿記事がテレビや新聞で紹介され、Yahoo!ニュースに記事を寄稿した。今年8月には、初の著書となる『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』を新潮新書から出版した。しかも、発売して3週間で、奇跡的に増刷も決まった(さりげない宣伝である)。

ドラマチックな成り上がりストーリーというほどではないけれど、何度も自分に失望したわたしからすれば、「自分にできることがある」と知っているだけで、何十倍も何百倍も、いまのほうが幸せだ。