(日本テレビの公式サイトより)

ドラマ『高嶺の花』は、石原さとみ×野島伸司の組み合わせがスゴい

脚本と映像の相性を見よ

石原さとみが美しい

ドラマ『高嶺の花』第一話の石原さとみには惹かれた。

バーニングラブの音楽に乗せて、自転車で疾走する石原さとみ。警察官に連行されストーカーだったとわかり、そのあと自転車で川に転落する。自転車修理店に自転車を持ち込み、着替えを貸してくれと言い、自転車店の二階で茫然とたたずむ石原さとみ。

スリリングな始まりだった。

うちひしがれ、投げやりな石原さとみが美しかった。

石原さとみの美しさを眺めていられるドラマになりそうで、楽しみだった。

 

ただ、ストーリーはあっさりしたものではない。内容はけっこうキワモノ的なところがある。

「華道家の跡目争い」という縦の筋と、「身分違いの恋」が交錯し、「血縁関係のない家族」を舞台に展開していく。一般人たちの話ではない。見ていて同化しにくい世界である。そしてその人間関係の表面をなぞるようにドラマは進む。

言ってしまえば、ここにドラマはあるが、物語はない。それはそれでいいのである。

石原さとみがいい。

(photo by gettyimages)

ここ何年かドラマでは、石原さとみが出るドラマだけは見るほうがいいとおもっているので、今回もしっかり見ている。時流は彼女とともにある。

でも『高嶺の花』はここ最近のドラマとは違う味わいのものだった。

今回は華道家という“芸術家”の役を演じている。おそらく「芸術」であることが大事なのだ。彼女が天才的な芸術家であることが、このドラマのポイントである。

芸術家の主人公は、自らをすすんで過酷な状況に追い込んでいく。絶望を感じ、うちひしがれ、それを乗り越えていくことによって、芸術家としてのさらなる高みを目指していく。言ってしまえば破滅型でもある。いまどきあまり流行らない。
 
ただ、見続けていると、このドラマの構造そのものが、同じ仕組みで作られているのではないか、とおもえてくる。

つまり、女優の石原さとみに、彼女らしからぬ役を振り当て、それに応えて乗り越えていく彼女がより輝くのではないか、という企図を、勝手に感じてしまうのだ。たしかに、ちょっとすごい役でもあり(かなり大仰な演技が必要なところが随所にある)、その役を演じていながら、それを越えて、切り裂くように見せる妖艶さがすさまじい。ぼんやり見ていても、そこに惹きつけられてしまう。

それも意図されていたのではないか、とおもえてきたのだ。