「紙と小説に未来はあるのか」塩田武士と武田砂鉄が語りつくした

『歪んだ波紋』特別対談
塩田 武士, 武田 砂鉄 プロフィール

このあと、まさかの展開が…

──武田さんは「実」を扱うわけですけど、どういう意識でコラムを書いていますか。

武田: 読んでいただければわかりますが、エンターテインメント性なんてちっとも出せていないんですよ。

塩田: いや、おもしろいですよ。

武田: ありがとうございます。何かしら引っかかってほしい、何かしら考えてほしい、とは思っています。強いインパクトを残した映画を観た後に外に出ると、なんかいつもの景色が変わって見えることがありますね。いい小説でも同じことが起きる。

でも自分の文章は、映画終了後に考えてもらうより、今、目の前で起きているそのシーンを考えてくれ、という書き方なんです。『日本の気配』で取り上げている話題は、もう、明らかに粗が目立ってますよという事案が多いですね。「おーい、粗、目立ってますよ」と言うだけではなく、わざわざ細かく解剖して、粗、こんな感じですよってことを、いちいち伝えていくことをやりたかったんですね。

塩田: 必要なことだと思います。何度でも言うというかたちで、この本の中では繰り返されますよね。いま、5分動画でも見られないという人たちの忍耐力のなさが気になっています。忍耐力のなさは、考えることに対しての拒否反応でもあるから、しつこく言い続けるのは、必要だと思います。言語化できる人がいるのは、同世代として頼もしい。

武田: テレビのバラエティを観ていると、「CM後に○○が大爆笑」みたいなテロップが出ます。CM前じゃなくても、「この後、まさかの展開が!」などと過剰に説明される。説明によって感情が管理される。そのうち、小説もそうなるんじゃないですか。「あと5ページで笑いが!」とか。

塩田: 帯ではもうありますね。

武田: ですね、帯はもうやりつくされた手ですが、小説自体がそうなってもおかしくないですよ。「そうか、やっぱり250ページのタクヤ君が転がるところでみんな笑うんだ、なるほどやっぱおもしれえな」ってことになりかねない。

塩田: 補助輪がないと自転車乗れないみたいになりますね。

 

武田: 今、自分たちはこれを笑い話として話しているけど、「えっ、割とそれ助かるんですけど」って思う人、すでに結構いる気がするんですよね。

塩田: ここが底の果てなのかなと思ったら、底が割れていっているという感覚がしています。人間はここまで便利で楽なもの、易きに流れるんだと。それを言うと「意識高い」と反撃にあうんですが。

武田: 講談社のネットメディア「現代ビジネス」でも、テレビのテロップのように太字で強調することがありますね。「一番大事なのここですからね」というのを、編集する側あるいは著者の意向で提示する。読む人にとっては、太字の次にある、太字じゃない一文を読んで感化されるかもしれないのに、その太字があることで、読む人の8割9割は太字のほうを優先してしまう。

塩田: アルゴリズムと一緒だな、と思うんです。AIがあんたこれ気持ちいいよ、と与えてくれるのを待っていれば、そこそこ満足できる。人生観が変わったりとか、あのとき節目だったなとか感じるのって、その8割9割の満足ではないと思う。

ぜんぜん違う未知のもの、扉を開いた瞬間に、わっ、て人生観が変わったり、自立心が芽生えたり、より強くなったりすると思うから、このタイミングですよキュー、みたいなのが、常にここにいるという状況は僕には気持ち悪い。小説を通してその気持ち悪さをしつこく書いていくのが必要なのかもしれません。

──いまの文脈でいうと、ネットメディアはある程度キュレーションされたものが提示されます。レガシーメディアとネットメディアで書き分けたりはされてますか。

武田: 紙かWebかという話はずっと繰り返されていくんでしょうけれど、紙の媒体はWebを悪く言うし、Webは紙が古いって言う。一昨年、NHKの貧困特集について記事にした「ビジネスジャーナル」というサイトが、実際には取材をしていないのにコメントを掲載し、「エア取材」だと問題視された。

やっぱ、どうしようもないよなWebメディア、なんてバッシングされたけど、その直後、今度は中日新聞が、これまた貧困問題の記事で、記者が想像で書いた文章を載せてしまった。つまり、根は一緒です。どっちかのせいにするのは危険です。

塩田: 枠で判断してしまう怖さはありますよね。

武田: ただ、Web空間では、「現代ビジネス」と「保守速報」的なものが、とりあえず見た目としては同じに扱われる。紙の媒体で「週刊文春」と同人誌を並べると、やっぱり雰囲気で違いがわかりますよね。同人誌を低く見ているわけではなく、その入り口で存在感の違いに気付ける。ネットではそれが混在しているから、その「度合い」をちゃんと識別する能力を持っていなければならない。

「既存メディアは嘘ばかり、ネットにこそ真実がある」と言う人たちは、殴り書きの言葉から「真実」を大量に見つけ出してくる。危ういですよね。

塩田: ネットメディアには、レガシーメディアとは違うことを報じてほしい。たとえば、16歳ごろにひどいヘイトなツイートをしていたけど、いまは反省し悔い改めている若い俳優が、晒されたことで契約解除されるというようなことがあった。この時代だと「赦し」が必要でしょう。僕らは多感な時期にたまたま発信するものがなかったけど、いまはあってやっちゃうから、そうしたことへの「赦し」であったり、オールドメディアでは気づかなかった概念をネットで特集組んでそれを報じていくとか。

その特性を活かしたものを読みたい。人が躓いたことにあまりに厳しすぎるのがすごく気になってるんです。あと、『歪んだ波紋』の第3話は「誤報と沈黙」というテーマです。ひとつは記者クラブで結束することによる沈黙。

もうひとつは、たくさん情報があるなかで、何も言わないということが、ひどいニュースをまき散らしている人を間接的に支持してしまうかもしれない沈黙。Webやネットで飛び交う言葉に着目した特集とかニュースを読みたい。彼らが記者クラブにいないからこそ書けるんじゃないかと思いますし、期待しています。

武田: 自分は本田靖春というジャーナリストが好きなのですが、本田さんが読売新聞に在籍した頃に追いかけた「黄色い血」追放キャンペーンって、今調べてみると30代前半の仕事なんですよね。かなりの大型連載を若き記者が仕切っていた。

今、新聞で、ああいった記事を30代が仕切ってやっているイメージってなかなかわかない。一方で、バズフィードやハフィントンポストのようなネットメディアに、新聞社から若い人たちが流れている。そこでは多くの記者が長めの署名記事を書いている。当然だけど、20代30代の血気盛んな時にしか考えられないことってたくさんあると思う。そういうものを、大新聞は引き受けてくれないのではないでしょうか。

塩田: 担当の枠がきっちりハマっているので、本当に書きたいものを書ける担当になるまで何年かかるねん、という話です。我慢せえ、という根性論はいまだにある。でも、書きたいものを取材して書くというのは基本だと思います。本田さんの場合社会部記者として、対政治部で派閥記者をすごく批判してましたし、「由緒正しき貧乏人」の覚悟みたいなものは、接した人のエピソードを読んでいくと伝わってくる。とても自分には真似できません。

武田: 『歪んだ波紋』に、かつて新聞社で働いていたOBが出てきますけど、やっぱりこれからメディアにいる人に求められるのは、OBや年配者を無視するってことだと思いますよ。

以前、青木理さんと対談した時に、「青木さんの世代はこのまま逃げようと思ってますよね」と言ってみた(笑)。無論、青木さんはこのまま第一線でやられるだろうけど、オールドメディアにいる50代くらいの人たちって、あと10年15年やって引退して「オレがやってたころのメディアはもっとさ……」なんて若い世代に説教するライフプランを立てている。彼らのことを積極的に信じてはいけない。メディアにいる若い人たちは、上の人たちを無条件に信じないほうがいいですね。