司馬遼太郎の描く「竜馬」を尊敬している政治家への違和感

「天皇抜き」の歴史認識のおかしさ
小島 毅 プロフィール

史実と歴史認識の間

誤解のないように。私は今の歴史教科書が偏向していると考えてはいない。史実に忠実に、堅実な学者たちの実証研究にもとづいた、良質な記述がなされていると思う。将来の日本を担う青少年たちに知らせるべき内容が、国家の恥部を含めてきちんと語られている。美談だけ列ねて自己満足に浸ろうとする「自慰史観」(私の造語)とは比べようもない。

しかし、なのだ。過去に生きていた人たちの歴史認識は、現在そう記述されている史実と一致しない。史実だけ書き連ねても、彼らの思想や行動を理解することはできない。

 

たとえば、西郷隆盛はなぜ征韓論(もしくは遣韓論)を唱えたのか。韓国はかつて「未来永劫、日本に服従します」と誓ったと、彼は思いこんでいたからである。『古事記』・『日本書紀』どちらにも、神功皇后の新羅征伐(三韓征伐)の話柄が載っている。新羅の王は今後もずっと日本に貢物を献上しつづけることを誓い、高句麗と百済の王もこれに追随した、と。

もちろん、史実ではない。記紀編纂当時(7世紀)の国際情勢における、ヤマト政権首脳の願望を投影した「お話」にすぎない。しかし、以後、為政者たちの対韓イメージは記紀を史実と信じることによって造形された。

豊臣秀吉が明との戦争を決意した際、派遣部隊が領内を通過することを韓国(当時は朝鮮王朝)に拒まれて怒ったのは、この歴史認識を持っていたからである。秀吉の朝鮮出兵はこうして起こった。明治新政府の連中が朝鮮王朝に対して居丈高に接したのも、日韓両国を対等な国家と考えていなかったからだ。

天皇についても、事は同じである。

政治権力は久しく幕府にあった。室町時代の遣明使(勘合貿易を可能にした外交関係)も、江戸時代の朝鮮通信使も、幕府と外国政府の間の関係だった。西洋諸国もそう認識し、江戸幕府と外交関係を結ぼうとした。幕府が天皇の勅許を求める必要は、制度上は無かった。

だが井伊直弼がそれを求めたのは、天皇の権威を利用して尊王攘夷派を黙らせようとしたからだった。結果として勅許は得られず、攘夷派に尊王思想の面からも勢いを与える大失策となった。出勤途中に桜田門外で彼自身が命を落とすことは周知のとおり。

フランス革命の英雄ナポレオンは、19世紀前半に中国で出版された漢文書籍に「拿破侖」(漢字表記は数種類ある)として登場し、それらを読んだ幕末の日本人に知られていた。だが、そのナポレオンとは、ヨーロッパ大陸に君臨した皇帝のことだった。

革命政府軍を率いて防衛戦争に勝利した共和主義者ではない。しかも、当時、フランスには彼の甥が皇帝ナポレオン3世として君臨していた。そもそも「革命」という語は、中国でも日本でも王朝交代の意味であり、王政を打倒して新しく共和国を作ることではなかった。

志士たちがめざしたのは、天皇を戴く国家体制に戻ること=王政復古だったのである。