司馬遼太郎の描く「竜馬」を尊敬している政治家への違和感

「天皇抜き」の歴史認識のおかしさ
小島 毅 プロフィール

半ば意図的に隠された天皇

司馬遼太郎が小説の登場人物たちに天皇の影をかぶせなかったのは彼自身の意図だと、松本健一は言う。司馬にとって、明治維新に始まる近代日本の歴史は「国民の歴史」であって、「天皇の歴史」ではなかった。『世に棲む日日』や『竜馬がゆく』・『翔ぶが如く』の主人公たちが尊王家だったことは秘せられ、「日本の夜明け」のために闘った英雄として造形された。

 

司馬自身は尊王思想の重みをよく知っていた。だが、彼は昭和の戦争が「国体」論によって引き起こされたことを苦々しく感じていため、あえてそれに触れなかった。とはいえ、彼が書いたのは学術論文ではなくて虚構の小説なのだから、そのこと自体に罪はない。

問題なのは、そんなことも知らずに、司馬の虚構を史実だと勘違いして「ボーッと生きている」連中のなんとも多いことである。しかも、国民の負託を受けて政治に携わる「先生」がたのなかにまでそうした方々が少なからずおられるようで、「司馬遼太郎の小説を読んで坂本龍馬を尊敬するようになった」と公言して憚らないのだから、始末に悪い。

ある政党が明治元年の事件にちなんだ名称をつけ、その英訳が直訳調に「王政復古党」(に相当する英語表現)になっていたと、かつてネットで揶揄されていた(今は英訳の用語をinnovationに変更している)。

この政党の事実上の創設者は、地方からの改革を(あたかも土佐勤王党のように)めざし、政策骨子をみずから「船中八策」と称していた。さすがに、その第一条は「天皇親政に戻す」ではなかったが、逆にいえば、天皇をないがしろにしてこの名称を名乗れる感性が、私には理解できない。

この用語は儒教の古典に典拠をもつ、王を讃える意味が原義なのだが、「先生」がたはご存知なのだろうか?(拙著『増補 靖国史観』を読んでくださっていれば、そこに書いてあるが)

戦後教育の影響

と、ここまでは、私が事新しく言うまでもなく、良識ある人士は気づいていたことである。私はこれにひとつの推測を付け加えてみたい。「天皇無しの明治維新」という歴史誤認に手を貸したのは戦後教育だったのではないか、と。

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この国の敗戦までの公式の歴史認識は、「国体」にもとづいて代々の天皇が国家を指導してきたのだという、いわゆる皇国史観だった。鎌倉開府から大政奉還まで続いた武家政権は、神武創業以来2600年に及ぶ歴史のなかの一時的な異常事態とみなされた。

「八紘一宇」を掲げて即位した初代神武天皇の精神は、その子孫たちに連綿と受け継がれている。これに敵対する武家政権の指導者(後醍醐天皇を裏切った足利尊氏、孝明天皇の意向を無視した井伊直弼ら)は「朝敵」であり、国史教育を通じて罵倒・否定された。歴代天皇の諡号・院号を丸暗記することこそが、歴史を学ぶことだった。

1945年の敗戦によって、この歴史認識は教育現場から放逐された。かわって「戦後歴史学」の見解が教科書に反映される。歴史の主人公は国民となり、個々の天皇は後景に退いた。神武天皇ら、実在したかあやしい天皇たちは教科書から消え去った。

ヤマト政権(私たちの世代は「大和朝廷」と教わった)の首長は「天皇」ではなく「大王」とされた。奈良時代・平安時代の政治の主役は藤原氏、鎌倉時代以降は幕府が日本政府だとされた。こういう教科書で学んだ生徒たちがどういう歴史認識を持つにいたるかは、火を見るよりも明らかである。

天皇を隠したのは司馬遼太郎だけではない。戦後七十有余年、公教育の現場でも天皇が消されつづけてきたのである。