司馬遼太郎の描く「竜馬」を尊敬している政治家への違和感

「天皇抜き」の歴史認識のおかしさ
小島 毅 プロフィール

吉田松陰は尊王攘夷の志士だった。とかく世間では彼の攘夷論だけが注目を集め、井伊直弼の開国政策に逆らったがゆえの刑死を悼む風潮が強い。他方、彼の尊王論に対する認識はきわめて薄い。

松陰が井伊政権の老中間部詮勝暗殺を企てたのは、幕府が孝明天皇の勅許を得ずに独断で日米修好通商条約に調印したからだった。開国政策そのものというよりは、松陰は天皇をないがしろにする幕府の態度が許せなかったのである。

日本国の君主は江戸の将軍ではなく京都の天皇だというのが、彼ら尊王家たちの主義主張だった。この見解は、武家政権をこの国本来のかたちに反する異常な政体だとみなして、倒幕運動を正当化した。尊王思想の威力・魔力があってこそ、薩長同盟は多くの諸藩の支持を得て、戊辰戦争に勝利したのである。

 

明治維新を進めた勤王の志士たち

あらためて思い出してみよう。『竜馬がゆく』の主人公が故郷で先輩に誘われて入党したのは「土佐勤王党」だった。司馬もそのくだりでは、尊王思想が当時の若者たちの心を捉えていたことを指摘している。

史実の龍馬は、だからこそ、幕藩体制という日本の伝統に反する政体をくつがえし、日本古来の朝廷主導の国家体制(当時の用語で「国体」)を復活させるべく、軽やかに各地を飛び回っていたのだ。

坂本龍馬と中岡慎太郎の像(photo by iStock)

彼のものとされる「船中八策」の第一条も「政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事」と、朝廷すなわち天皇の政府が日本全土を統治することを提案している。坂本龍馬は共和主義者ではなく、れっきとした王党派だった。

司馬の描く「竜馬」は、史実の「坂本龍馬」とは別人だ。そんなことは歴史小説である以上当然で、吉川英治の『宮本武蔵』を史実の武蔵と混同する人はいないだろう。

ところが、司馬の愛読者のなかには「学校の教科書よりずっとおもしろい」とか言って、彼の小説を史実と思い込む輩がいるらしい。いわゆる「司馬史観」の信奉者だ。司馬遼太郎こと福田定一は博学な人で、史実がそうでないことは知っていた。小説はあくまで虚構の世界、「竜馬」も彼が造形した空想上の人物である。

西郷隆盛や大久保利通となると、自分たちが権力を奪う口実として天皇を戴くふりをしていたフシがあり、松陰や龍馬とは異質かもしれない。徳川慶喜を朝敵と決めつけた小御所会議の際に、裏で畏れ多くも明治天皇のことを「玉(ぎょく)」と呼んでいる。彼らにとって天皇ご自身の大御心などどうでもよく、自分たちにパワーをもたらす魔法の石程度の認識だったのだろう。

ただし、彼らが「玉」を自分たちの側に置こうとしたのは、「玉」が人々に対して持つ不可思議な力を知っていたからである。天皇の命令を騙れる立場にさえあれば、日本全土に蔓延する尊王家たちを自陣営に引き込めると踏んだのだ。そして、実際に彼らの思惑どおりに事が運んだ。

明治維新は尊王思想無くして起こりえなかったのである。