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司馬遼太郎の描く「竜馬」を尊敬している政治家への違和感

「天皇抜き」の歴史認識のおかしさ

今年は明治維新から150年となる。三選を目指して自民党の総裁選に出る安倍晋三総理大臣も、それを意識してか、出馬表明の際に「薩長同盟」という言葉を用いて気勢を上げた。

明治維新といえば、現代の政治家や企業家が、自身の行動をドラマタイズするために頻繁に引用するイベントだ。吉田松陰、坂本龍馬をはじめとした英雄が、日本という国家の夜明けのために活躍したイメージがあるからだろう。

しかし、その英雄たちが、「天皇による親政」を求めて行動を起こしたという重要な事実は忘れられがちだ。明治期の日本を描き、日本人の「明治観」に大きな影響を与えてきた司馬遼太郎の作品からも、天皇が(半ば意図的に)欠落していた。「司馬史観」に影響を受けた(政治家を含む)人々のなかには、天皇と維新の関係について意識が薄い人もいるかもしれない。

同時に戦後教育もまた、明治維新における天皇の役割、位置づけを過小評価してきた。

生前退位を控え、天皇の歴史的な側面に注目が集まるなか、日本で「天皇抜き」の明治維新のイメージが広がってきた事情、そしてそうした歴史観を持つことの問題点や違和感を、東京大学の小島毅教授が解説する。

 

司馬遼太郎が描かない天皇

「二十五年にわたって書き継がれた「街道をゆく」シリーズには<天皇の物語>がない」(『三島由紀夫と司馬遼太郎―「美しい日本」をめぐる激突』新潮選書、2010年、18頁)

松本健一は、司馬遼太郎の文章を読んで発見した事実をこう記している。

松本によれば、「湖西のみち」には「天智天皇のことがまったく出てこない」し、「越前の諸道」で「継体天皇のことはふれられていてもそこには深入りしない」。とりわけ「京都の「大徳寺散歩」「嵯峨散歩」では、この二つの地名が天皇家と大きな関わりをもつのに、そこには一切ふれない」(同、18-19頁)

彼はその原因として、1970年11月25日の三島由紀夫割腹自殺事件を想定する。司馬の『街道をゆく』の連載開始が翌年早々だからだ。三島と司馬、同世代のこの二人の小説家(司馬が2歳年上、三島が早生まれのため1学年ちがい)の間には、日本文化における天皇の存在について、決定的な意見の相違があった。

市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹した三島由紀夫(photo by gettyimages)

司馬の歴史小説に天皇の影が薄いことは、史実を知ったうえで読んでいる読者なら誰でもすぐに気がつくことだろう。一坂太郎は、吉田松陰を主人公にした『世に棲む日日』を例に、「司馬遼太郎は天皇崇拝の問題を極力避けて松陰を描こうとしたきらいがある」と分析している(『司馬遼太郎が描かなかった幕末——松陰、龍馬、晋作の実像』集英社新書、2013年、30頁)。

「司馬遼太郎は松陰の天皇崇拝者としての言葉は引用しない。「天下は一人の天下なり」といった、有名な松陰の強烈な言もここでは出てこない。松陰の天皇観は、当然ながら浮かび上がってこない。司馬遼太郎は昭和40年代の大衆小説の中に、天皇の問題を持ち込むことを、避けようとしているかのようである」(同、36頁)