2018.09.04
# 恐竜

1902年、満洲。ロシア帝国が残した謎恐竜「神州第一龍」の正体

「恐竜大陸をゆく」第2回
安田 峰俊 プロフィール

ウワサを聞きつけたのは、現地に駐留するロシア帝国軍のマナキン(Manakin)大佐だ。大佐は現地で調査をおこなっていくつかの化石を採集し、アムール河地区のロシア語ローカル刊行物『Priamourskie Vedomosti'』にそのことを記載する。

この時点でマナキン大佐は「龍骨」の正体をマンモスの骨だと考えていたらしい。彼が手に入れた化石は、ロシア側から見た最寄りの街にあるハバロフスク博物館に届けられた。

ちなみになぜ、中国の恐竜化石をロシア軍人が調査したのかというと、当時(日露戦争の勃発前)の露清境界は国境が有名無実化し、魚亮子村一帯はロシアの強い影響下にあったためである。

極東の国境地帯での化石発見の報告はしばらく放置されていたが、ロシア帝国は第一次大戦中の1914年から、地質学者のA. KrishtofovitshやW. Renngartenが率いる調査チームを何度か漁亮子付近に派遣。彼らのチームは再び化石を収集し、当時の帝都ペトログラード(現:サンクトペテルブルク)に持ち帰った。

マンチュロサウルスが出土した場所(嘉蔭:Jiayin)付近は、現在は黑龍江嘉蔭恐竜国家地質公園となっているマンチュロサウルスが出土した場所(嘉蔭:Jiayin)付近は、現在は黑龍江嘉蔭恐竜国家地質公園となっている。省都のハルビンよりもロシアのハバロフスクのほうが近い場所だ。P.Godefroitらの2011年論文(記事末尾参照)より引用

その後にソビエト連邦の成立を経て、Krishtofovitshの同僚であったロシア人考古学者のアナトリー・リアビニン(Anatoly Riabinin)が研究を継続する。

リアビニンは当初、この恐竜をトラコドン(Trachodon、現在は使われない種名)の仲間だとみなしたが、1930年に発表した論文において、新種「マンチュロサウルス(満洲トカゲ)」として命名と報告をおこなったのだった。

その後、1978年からは中国側でも、黒竜江博物館のチームによる発掘がおこなわれた。

特に同年から翌年にかけての発掘プロジェクトでは、黒竜江省嘉蔭県においてマンチュロサウルスを含む1400点あまりの白亜紀晩期の化石が発見され、周囲は地元の人から「龍骨山」と呼ばれるまでになった。

マンチュロサウルスにはどこで会える?

リアビニンが報告したマンチュロサウルスの化石はサンクトペテルブルクの中央地質探査博物館に全身骨格の形で展示されているが、その大部分は石膏を用いて補完されている。

1930年に論文が執筆された時点で、リアビニン自身がこのマンチュロサウルスの復元にあたって複数の個体を組み合わせた可能性を認めていることからもわかるように、ちょっと怪しげな復元がなされてしまったようである。

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