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# 自動運転 # トヨタ

「完全自動無人運転」自動車など幻想と言い切れるこれだけの理由

一方、アシスト運転技術の未来は明るい

再び技術ファンタジー・ブーム

戦後米国で「空飛ぶ車」が大ブームとなったことは、以前のコラムで述べたが、なぜか今再び日本で「空飛ぶ車」がブームとなりつつあり、経産省が企業や大学による「空飛ぶ車」の開発支援として、2019年度予算概算要求に約45億円を盛り込む方針だそうだ。

私が子供の頃のSFでは、テレビ電話と並んで反重力自動車など「空飛ぶ車」は必須アイテムの1つであった。やってくるはずの素晴らしい未来のことを考えながらワクワクしていたが、実際に「未来」がやってくると、SFで描かれていたかなりのテクノロジーが実現されたのにもかかわらず、それほどのことも無かったというのが実感である……。

技術的にはほぼ完成しているテレビ電話があまり普及しないのは、実のところそれほど必要が無かったからだ。多くの女性は、すっぴんでテレビ電話に出たくないし、家の中が映し出されるのも耐えがたい。結局音声通話で十分ということなのである。

戦後の米国で「空飛ぶ車」のブームがしぼんだのは、米国の空が1家に1台の「マイ空飛ぶ車」を受け入れる余地が無いことが分かったからである。

例えば、国土交通省の資料によれば日本の航空機の登録は3000機弱である。それに対して、日本の自動車保有台数は8000万台である。たった1%の80万台が空を飛んだとしても、飛行場や航空管制が追いつかないのは明らかである。

 

個別製品のテクノロジーとシステム構築を区別しろ

このような「テクノロジー・ファンタジー」が陥りやすい誤りの1つは「個別製品の性能」にばかり注目して「システム全体の運用」を忘れている点にある。

例えば「空飛ぶ車」は、簡単に言えば「水陸両用自動車」のようなものである。ボートと自動車の技術があれば両者を融合し優れた製品を作るのは簡単である。「空飛ぶ車」も個別の試作品としては、それなりの性能のものが1950年代には出来上がっていた。

しかし、数百万台、数千万台もの空飛ぶ自動車を運行するシステムは技術者たちの手に負えなかったし、そもそも必要な飛行場を建設できる見込みさえ無かった。

現在のロボット技術者の多くが鉄腕アトムの実現を夢見て仕事を選んだが、ホンダのアシモのような優れた二足歩行ロボットは生まれたものの、「ロボット」の大半はいまだに工場で働いているし、その「工場ロボット」こそが現代の産業の主役である。「彼ら」が我々を繁栄に導いてくれるのである。

製造業における「工場ロボット」のような地味な存在が交通機関の「運営システム」である。そして、「空飛ぶ車」がもっているような夢とは関係のない地味な「運営システム」の重要性は忘れられがちである。