今や一大ステーキチェーン店のトップとして飲食店業界を牽引する一瀬社長。でも、その成功の陰には忘れてはならない人がいる。それは、女手ひとつで育ててくれた母、やゑさんだ。
芸事の世界に身を置き、小唄や三味線の師匠をして生計を立てていた母。夜、仕事から帰ってきた母と会話をすることが、一瀬少年にとっては掛け替えのない時間だった。
厳しい芸事の世界の話もよく聞いた。子どもにはよくわからないことも、質問すれば、ちゃんと答えてくれる母だった。母を通して大人の世界を垣間見、それが大いに人生の参考になっていると社長は語る。苦労して自分を育ててくれた母に楽をさせてやりたいという思いが、独立心や負けん気の源となった。
人生の節目節目に、道を示し、背中を押してくれたのもやゑさんだ。
「邦夫、コックになるんだったら、日本で5本の指に入れるようなコックになるんだよ」
高校卒業後、浅草の洋食屋に勤めることになった時、挨拶にいく道すがら、母の言った言葉が一生を決めた。
「いつまでも人に使われていては埒が明かない。独立しなさい」
28歳で独立し、自分の店を構えたのも、母の後押しがあってのことだ。
そして前回の記事でも書いたように、1997年、急速に店舗展開を進めたことで「ペッパーランチ」が倒産の危機に陥った時、意気消沈した社長と会社を甦らせたのは、母のこのひと言だったのだ。
「邦夫、枯れた植木に水をやる人はいないよ」
独立開業して間もない頃、出産で入院中の妻に代わって、やゑさんが店に立ってくれたこともある。今日の一瀬社長の成功は、どんな時も見守り、支え続けてくれた、母の愛情と貴重な教えがあればこそだ。
「この道に入るときの『日本で5本の指に入るコックになる』という約束は果たせなかったけど、おふくろはいつも見てると思う」
ペッパーフードサービスは、2006年9月に、東京証券取引所のマザーズに上場した。誰よりも緊張した面持ちでそれを見届けた母のやゑさんは、2012年にこの世を去った。
社長がずっと母の言葉を書き留めてきたノートは何十冊にものぼる。それは、引っ越したばかりのピカピカのオフィスの社長室に、大切に保管されていた。
次回は「いきなり!」インタビュー最終回。人間味にあふれた一瀬社長の素顔から、「成功する飲食店経営者に必要なこと」を探ろうと思う。