画/おおさわゆう

医者の学会発表は、実は「俺ってスゴいだろ!」の自慢大会だった

覆面ドクターのないしょ話 第30回
医者の本分は、患者さんの病気やケガを治すことですが、医学という学問の担い手である以上、日々研鑽し、研究を重ね、その成果を学会で発表するのも大事な仕事です。ところが、この学会という一般人には馴染みのない発表会。次郎先生によれば、学問の高尚な雰囲気とはかけ離れた、「喧嘩上等」のなかなか厳しいところのようで……。

犬に噛まれた症例はNGだが、熊ならOK

読者の皆様にも、社会人になって初めてのプレゼンテーション、いわゆる「プレゼン・デビュー」という日があったと思います。

プレゼン・デビューはいかがでしたか?

皆様にプレゼン・デビューがあるように、医者なら誰にでも「学会デビュー」があります。私は学会デビューのとき、膝がガクガク震え、チビりそうになりました。

その昔、プレゼンや学会発表にはスライドが用いられていた。文字部分の写植の仕上がりに時間がかかるので、上司が部下に訂正を命じることができるのは、発表1週間前までだった。それを過ぎればスライドそのものの仕上がりが発表に間に合わなくなる。つまり、昔はプレゼンの出来・不出来に関わらず、発表1週間前で資料作りは完了し、上司の指導からは解放されたのである。

ところがパワーポイントが出現し、プレゼンの資料作りは一変した。スライド作りが格段に容易になったのである。その反面、発表直前まで訂正が可能で、いつまで経っても上司による指示・訂正が終わらないという弊害も生じているのではないだろうか?

スライドはスクリーンに映す前のセッティングが重要で、これを間違えるとスライドの文字が表裏反対だったり、上下逆さまに映ったりしてしまう。

 

ある研修医が学会デビューした。ドキドキして登壇し、発表を始めようとした。

「ではスライドを供覧します……あ~っ!」

彼はショックと落胆の入り混じったため息をついた。スクリーンに映し出された1枚目のタイトル・スライドが表裏上下逆さまになっている。これでは、今から何の発表があるのか、フロアの人たちには読めなかった。今日、人生初めての「学会デビュー」で、ただでさえ緊張で頭の中が真っ白なのに、スライドのセッティングをミスしてしまった。しかもタイトルを! 彼はスタートでつまずいた。

「やっちまったな」
「かわいそうに……」

失笑と同情で会場もざわついている。

とりあえず発表を始めなきゃ、と思って彼は原稿を読み進めた。

「失礼しました。次のスライドお願いします……うっ!」

またしてもスライドが逆さまだ。もうどうしていいかわからず、進退窮まった彼の表情が大変痛ましかった。結局、スライドはすべて表裏上下逆さまだった。発表が終わったとき、彼は穴があったら入りたいかのようなしぐさで、そそくさと舞台から降りた。この手の失敗は誰しもあるものだ。頑張れ、研修医!

世界的な名医は、このプレッシャーをはねのけて、トップへの階段を駆け上がったわけです

アメリカの学会でよく見る光景なのだが、アメリカの医者は原稿を見ないで発表する。だから見ていてカッコいい。その代わり、一字一句間違えることなく発表できるまで徹底的に練習をしてから本番に臨む。困ったことに、それをカッコだけ真似て発表する日本人の医者がいる。

「俺ってスゴいだろ!」

そんな様子がありありと見て取れる。練習もそこそこしかやっていないから、当然アドリブになる。結局、制限時間をオーバーし、進行が遅れてしまう。さらに、この手の発表者にありがちなのは、二番煎じ・三番煎じの発表だ。去年発表したスライドが何枚も混じっていたりするのだ。

うちの教授は口を酸っぱくしてこう指導した。

「カッコ悪くてもいいから、きちんと原稿を読んで時間内に終わらせなさい。そのかわり正確にゆっくりと、1分間に300字のスピードで」

学会は、各大学病院の勢力分布図でもある。医局員の人数が多く、勢いもある大学病院は1題でも多くの発表をしようと息巻いている。

ありていに言えば、学会とは「俺ってスゴいだろ!」という自慢発表会の側面もあるのだ。

「我々が行っている治療法はこんなに素晴らしい」
「ここまで長期に観察できたのは我々だけです」
「世界で初めて成功しました」などなど。

学会発表とひと言で言っても、病気の治療方法とその治療成績、新しい治療法の開発、今までの症例を検討した結果わかった新知見、珍しい症例報告など発表は多岐に渡る。

著名な先生の発表を聞くと、その素晴らしい手術成績に「すげぇ!」と聴衆がため息をついたりする。だが、大発見・大発明がいつもあるかというとそういうわけではない。「それのどこがすごいの?」というチョロい発表もある。だが、医学・科学というものは、これらの小さな一歩の積み重ねで発展するのだ。

新人の医者が学会デビューするとき、通常「ケース・レポート」を教授から命じられる。珍しい症例の1例報告だ。「地方会」というフロアの人数が100人程度の小さな学会で「こんな珍しい症例を経験しました」と報告する。ケース・レポートは医者の登竜門なのである。

ケース・レポートは「極めてレア」がベストだが、「比較的珍しい」症例でもよい。たとえば、本連載第11回で触れた動物による咬傷で考えてみよう。犬・猫に噛まれたくらいでは珍しくも何ともない。では熊に噛まれたケースなら少し珍しいのではないか?

「この間、ハイキング中に熊に咬まれちゃってさぁ……」

という友人、普通いませんよね?

熊による咬傷ならば犬・猫とはまったく異なるであろうし、ケガの重症度も大きくなる。しかも地域が限定され、どこでも誰でも経験できるわけではない。極めてレアとは言えなくても、症例としては「比較的珍しい」し、さらに20例ほど症例の蓄積があれば、咬傷の特徴や治療実績について一家言持っていると主張でき、報告の価値がある。

ではハクビシンなら? パンダのシャンシャンによる咬傷なら? そう考えると、咬傷だけでもテーマは色々あるのだ。以前、私の外来に「カブトエビに咬まれました」と言って受診した生物学部の学生さんがいた。このとき私自身も「症例報告になるかな?」と思ったものだ。