「お客様は神様」ではありません

たねや社長の新しい「三方よし」とは
山本 昌仁 プロフィール

「三方よし」とする必要性にかられた

近江商人の代名詞は「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」。売買する双方が満足する方向にもっていくのは当然でしょう。この言葉が注目を浴びるのは、売買に関係のない人たち(世間)の利益まで考えるという部分だと思います。でも私には、それほど特別なことを言っているようには思えないのです。

例えば、ウィリアム・メレル・ヴォーリズさん。戦前の代表的な建築家で、同志社大学や関西学院大学といった学校、大阪の心斎橋大丸や東京の山の上ホテルなど、全国各地に作品が残っています。

アメリカで生まれ、英語教師として来日し、近江八幡を拠点に活躍しました。メンソレータムで有名な近江兄弟社を作ったのもヴォーリズさんです。彼の事業は社会奉仕の理念につらぬかれていて、まさに「三方よし」ではないかと感じるときがあります。だからこそ彼は「青い目の近江商人」と呼ばれたのです。

あるいは、いま日本企業が外国でビジネスをするとき、必ず現地社会に還元することを考えます。現地の学校に寄付するような活動は普通におこなわれています。これだって「三方よし」でしょう。知らない土地で現地の人と長期的な関係を結びたければ、必然的に同じところにたどり着くのだと思います。

他国で商いする以上、近江商人は基本的に「他所者」です。誰もが最初は天秤棒一本からのスタート。一人で知り合いのいない土地に入り込めば、身の危険を感じることもあったでしょう。ビジネス相手と自分さえよければ、それ以外の人はどうでもいいなんて発想が出てきようにありません。世間よしを考えないほうが不自然です。

重い荷物を遠くまで運んできたのに、何軒回っても売れない。それでも「ほな、またのご縁によろしゅうお願いします」と笑顔で去っていくのが近江商人。将来、そのなかから買い手が現れるかもしれないのだから、当然です。「買い手じゃない人(世間)は俺とは関係ない」なんて考えるはずがない。

つまり、「世間よし」自体にオリジナリティがあったというより、日本でもっとも早くそれをやったのが近江商人ではなかったかと思うのです。人々が土地に縛りつけられていた時代、全国を飛び回っていた近江商人が「最初に世間よしとする必要性に迫られた」のではないでしょうか。

私たち自身、日本橋に出店したとき、最初にやったことは挨拶でした。他店の店員に会ったら、必ずこちらから声をかけることを徹底した。他所者という自覚があるから謙虚になれるのです。他店の店員はライバルであって、商品を売る相手ではありません。でも、仲良くやっていこうと発想するほうが自然です。

 

日野商人や八幡商人には、中山道でつながった北関東へ進出する人が多かった。そのひとつで、武蔵国秩父で酒造業や小売業をやっていた矢尾家には「自分たちが他所者であることを忘れるな」という家訓があるそうです。百年たっても自分たちは土地の人間ではないから、より品行方正でいないといけない。

地元の人から愛されるよう、飢饉のときは貧民に米を贈るし、借金の無理な取り立てをやることもない。その結果、明治に入って秩父困民党の蜂起があったとき、この店だけが打ち壊しを免れました。打ち壊しの対象になったのは、むしろ地元の商人たちのほうでした。

飢饉で自分だけが生き残ったとしても、商いする相手が誰もいなくなったのでは意味がない。苦しいときにみんなを助けるのは、長い目で見れば自分のためにもなります。「三方よし」は長く商いを続ける知恵であると同時に、自分の身を守る知恵でもあったのではないでしょうか。

末廣正統苑の教え

日本橋に出店する直前、失敗は許されないと悩んだ父は、京都で演劇塾をやっていた長田純先生長田先生の門を叩き、相談相手になってもらいます。東京で自分はどう行動すべきなのか。不安を訴える父に、先生はこう言われたそうです。

「あの庭の松の木を見なさい。あの木は、あんたが来るから立派な枝ぶりにしたわけやない。一日一日を一所懸命に生きてたら、あの枝ぶりになっただけや。東京に出るからゆうて、自分をつくろう必要なんかあらへん。『ありのまま』でええんや」

父は憑きものが落ちたように、気が楽になったそうです。それ以来、「ありのまま」はたねやの生き方になっています。私もつねにその言葉を思い浮かべる。

我が家に家訓のような書きものは残っていませんが、口伝でいろんなことが伝わってきた。祖父から叩き込まれた商いの心得を、父は長田先生と相談しながら文書化します。それが和綴じの冊子「末廣正統苑」です。

末廣正統苑

経営の仕方ではなく、商人としての生き方を書いた冊子です。「商いは人の道だ」というのが基本コンセプトで、商いを通して人格形成を目指す。家族経営に毛の生えたぐらいの時代は、口頭でも伝えられます。でも、組織が急激に大きくなり、東京みたいに離れた場所で働く社員も出てきたため、書物の形でたねや精神を伝える必要が出てきた、ということです。

父から「三方よし」という言葉を聞いたことはないのですが、似たような表現は「末廣正統苑」にも出てきます。

「商ひの荷は往復天平なるべきこと されど戻り天平の荷は商物にあらず 選びて世間様へお返しの荷をのせて戻るべし」

帰路の天秤棒には、世間へのお返しを積めという教えです。

見返りを求めて商いをやったら必ず失敗する。誰も見ていないところでも、世間のためになるよう行動しろ(「陰徳善事」といいます)。利益を求める前に、お客様の喜ぶ顔を見て満足しろ。人としてあるべき道(義)をないがしろにしなければ、利益はあとからついてくる(「先義後利」です)。社会から必要とされる会社でなければならないし、そのために世間の利益も考えろと。

こうしたことは、私もつねに意識するようにしています。