驚異の豊かさ…「富山は日本のスウェーデンだ」と言いたくなる理由

リベラルで保守的な社会が日本にあった
井手 英策 プロフィール

リアルな「家族」を見つめ直そう

富山では、ときには飲み、語らいながら、本当にいろんな話を聞いた。そのなかで何度も出てきた言葉がある。「家族」だ。

保守系の人たちであれば、威厳のある父親がいて、家事や育児にはげむ母親、親を敬う子の姿を思い描くかもしれない。革新系の人たちなら、ふんぞり返る父親、イエに閉じこめられ、家事労働を強いられる女性のみじめな姿を想像するかもしれない。

でも、多くの人たちにとって、これらの家族像はどこか変じゃないだろうか。愛する人たちと暮らすおだやかな場所、みんなが一人ひとりの幸せを願う場所……少しほめすぎかもしれないが、家族とは苦楽を分かち合う、温もりのある場所ではないだろうか。

調査を進めるなかで、このズレに、僕は大きな興味を持った。日本の保守であれ、革新であれ、自分たちにとっての家族のイメージがあり、そのイメージを覆そうとせず、古いイメージに固執し続けている。その意味で、彼らはどちらも、やはり「あしき伝統主義」的だ。

父親が外で働いて家族を養う、母親は家庭に入って2−3人かそれ以上の子どもを産み、育てるーーそんな近代家族モデルという「かたち」がとうに破綻していることは、ほとんどの人たちが気づいている。ありもしないものをイメージしながら、一方は家族の美徳を語り、もう一方は家族の息苦しさを批判する。この対立のどこに意味があるのだろう。

 

歴史を見てみると、変化を続ける家族の「かたち」とは別に、家族には「原理」のようなものがあることに気づく。それは、メンバーが金銭的に豊かになるためではなく、人間らしく生きていく条件を育むために家族はある、ということだ。

生まれたての子どもがいれば、育児や保育に汗をかく。社会的な地位、年齢、性別とは無関係に、必要に応じて食事やサービスを分配する。人間らしい暮らしをメンバー全員に与えること、これが「家族の原理」だ。

ギスギスした競争の原理とは異なる、支え合いと温もりの原理がある。家族のかたちが変わっていくのに、家族の原理を「奥さん」に押しつける人たち。あるいは家族と聞いただけで拒絶反応を起こし、この原理を維持することに失敗し、人びとを不安に陥れてしまう人たち。僕にはいずれもまちがっているように見える。

スウェーデンの「パラドックス」

人口減少、経済の停滞、高齢化というトリプルパンチの時代が目の前にきている。近代家族モデルはたかだか明治以降の産物だ。「器」の問題ではなく、その器を生みだす原動力、命や暮らしを守るための家族の原理をどう作り変えていくかが、いま問われている。

男女がともに働き、家族のかたちが変わっていくとすれば、女性が提供してきた育児、保育、介護、初等教育といったさまざまなサービスを、家族の外に押しだすほかない。

財政がこれを吸いあげ、税でみなが財源を負担し合うのは、ひとつのやり方だ。高福祉高負担で知られるスウェーデンは、その代表例である。

スウェーデンは、多くの左派やリベラルにとって、非常に評判がいい。税は高い。だが、格差は小さく、人権を重んじ、生活や命の保障が徹底している。

一方、自己責任の重要性を訴える保守系の人たちは、スウェーデンをきびしく批判してきた。政府に家族の仕事を丸投げすることは、母親の怠慢、責任放棄とさえ考えられた。

だが、この対立は、根本的にまちがっている。世界大恐慌の直前のことだ。社会民主労働党の若き党首P・A・ハンソンは、家族のように助け合い、人間の間のすべての壁を破壊すると訴えて、社会民主主義の基礎をつくった。「国民の家」と呼ばれる歴史的な演説だ。

リベラルがきらう家族。だが、家族のように助け合うことこそが、リベラルの約束の地・スウェーデンの出発点だった。そして、保守が嫌うスウェーデン。かの国こそが、家族の原理を重んじ、家族の理念を国家の土台にすえた国だったのだ。

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