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大杉漣、西城秀樹の友人たちが「いまになって思うこと」

喪って改めてその大きさに気づいた

生前にあなたが残した言葉やふるまいは日々が過ぎるごとに大きくなってくる。あの時はわからなかったけれど、喪ってから気付くこともある。旅立っていった著名人を、友人たちが振り返る――。

「漣さんがいたらな」何度そう思ったか/崔洋一(映画監督)

大杉漣 享年66'18年2月21日没(急性心不全)

漣さんの名前は、彼が転形劇場という劇団で活動していた1970年代から、知ってはいました。最初に仕事したのは『マークスの山』という作品です。

短いシーンでしたが、その演技が素晴らしく、その後の『犬、走るDOG RACE』では準主役を演じてもらいました。

彼は売れない劇団員やピンク映画の男優を経て少しずつ売れていった苦労人。働かないと不安になるという典型的なワーカホリックで、当日に「今日、空いてる?」とお願いしても「3時間だけなら時間が取れると思う」といった具合で、仕事に貪欲でした。

我々にとっては力強い存在で、「いざとなったら漣ちゃん」が合い言葉でした。

いまでも思い出されるのは、「見せてもらっていいですか?」という言葉です。出番のないときでも現場に来てカメラの斜め後ろに陣取り、他の役者の芝居を観察するのです。いつのまにか当たり前の風景になっていましたが、現場に良い緊張感をもたらしてくれました。

亡くなった後に、そのありがたさにどれだけ気づかされたことか。作品を内と外から支えてくれていたんですね。

 

彼のことを思い出すと、人としても役者としても、どのエピソードにも「マメさ」が垣間見えますね。

'00年頃、漣さんの地元・徳島でトークショーに呼ばれたことがありました。その時に、彼が高校時代に通ったというラーメン屋で昼食を食べたのですが、亡くなる2ヵ月前に連絡がきて、「あの時撮った写真を、SNSにあげてお店を宣伝してもいいか」と聞かれたのです。

地元のサッカーチームを応援するなど徳島愛が強いことは有名ですが、何事においても律儀なんです。

漣さんは大衆受けする、どこにでもいるようなおじさんでもありましたね。たまにする、筋違いの説教が面白かったり、憎たらしいことも言うけれど、どこか憎めなかったり。

でも実際、こういう人は現実の社会では少なくなっています。だからこそ大衆に親しまれたし、愛されたのだと思います。

個人的には、軽妙で情けない男を演じる時の漣さんが一番輝いていて好きです。私の作品でも、気弱なタレコミ屋を演じていただきました。彼が亡くなった後、作品を撮ろうとしたときに「漣さんがいたらな」と何度思ったことでしょうか。

ギリギリの人生を送っていながらも、おかしみを醸し出せるような役を演じてほしいのです。漣さん以外でしっくりくる人は、なかなかいないですね。

不思議なことに、漣さんが亡くなって約半年経ちましたが、いまだに実感がなかったりもします。テレビを見ていると、普通に出てくる気がするのです。

視聴者の方にとっても、もう現実には存在しないけど、どこかにいるように感じているのではないかな。漣さんが亡くなって気づいたのは、重すぎない存在感こそ、あの人の魅力だったのではないかということです。

バイプレーヤーは何人もいますが、彼の穴は誰も埋めることはできない。これからもみんなの胸に大杉漣は存在し続けると思います。