警察庁長官狙撃事件の真犯人を支援した「協力者」からの手紙

未解決事件の真相が、いま明らかになる
原 雄一 プロフィール

中村と小川の「接点」

著書の中で、私が、「中村と小川がアメリカで同時期に滞在していた時期は、平成5年7月から始まる」と書き、その一方で「入出国地は、小川がサンフランシスコ、中村がロサンゼルスであることから、二人がロスで出会えるのは、渡航歴からして平成7年10月からになる」と書いた点にもやはり注文を付けてきた。

「LAX(ロサンゼルス国際空港)とSFO(サンフランシスコ国際空港)は飛行機で1時間、車で7時間」「大阪-東京程の距離」と。

中村は私に、ロスの空港で小川と出会ったと言っていた。小川のことを、異国の地で観光ガイドを兼ねて白タク営業をする元陸上自衛隊員とも言っていた。

 

当初、私は、サンフランシスコを入出国地としていた小川が、短いアメリカ生活の中で、早々にロスで観光ガイドを兼ねた白タクができるものだろうかと疑念を抱いた。しかし、小川は、平成5年6月からサンフランシスコを入出国地としてアメリカ渡航を始めると、8月までの約1ヵ月半を滞在している。

2回目は平成6年6月から10月までの約4ヵ月間の滞在である。このときもサンフランシスコを入出国地としているが、4ヵ月もの間滞在しているならば、ロサンゼルスに足を延ばすことが考えられる。

これに、中村の渡航歴を照合すると、平成5年中、中村と小川が同時にアメリカ西海岸に滞在した期間は約1ヵ月間、平成6年中は約2ヵ月間となる。つまり、渡航歴からして、狙撃事件以前に二人はアメリカで接点を持ち、親しくなった可能性があると見るのが自然な判断となった。

岐阜刑務所での取調べでも、中村は苦渋の表情で、

「ロスで小川の白タクに乗ったのは長官狙撃事件よりも前だったと思う」

などと吐露していた。

アメリカ国内で出会い親しくなった二人は、日本国内ではさらに親交を深めるはずである。中村もまた、

「小川とは、アメリカよりも日本での接触が多かった」
と語っていた。

平成5~6年と言えば、民兵組織結成のため、中村がその要員確保に奔走していた時期である。

特に、平成5年10月、要員募集を依頼していた新右翼「民族派」の野村秋介が何の予告もなく自決してしまい、中村の念願だった組織結成に暗雲が立ち込めた時期でもある。この当時の小川には、大島と同様、思想・信条に極端な色はない。それに、長期間の取調べの中、中村が話していた狙撃事件の支援者の素顔に小川は見事に符合する。

(9月2日公開の後編につづく)