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これからは哲学の時代——根拠なき時代、ほんとうの土台を築くには?

『欲望論』の著者、竹田青嗣氏に聞く①
竹田 青嗣 プロフィール

これは、たいへん苦しい。ところが、世界は解体してしまい、向かうべき対象はもう存在しなくなったはずなのに、そのあとにも、トイレに行きたいとかお腹が減るとかいう、肉体的な欲求という形でやっぱり少しずつ自分の中に欲望がにじみ出てきたんですね。

そして、そのわずかな欲求と欲望の結び目をたぐるようにして生きることも進み、それに応じて、壊れてしまったはずの「世界」も再び構成されていった。

ひとことで言えば、それが私の哲学の重要なモティーフである、「欲望と世界の秩序との相関性」に目覚めたという意味での最初の哲学的経験でした。

そういうことがあったので、30歳を過ぎてニーチェの『権力への意志』の後半部分を読んだとき、このニーチェという哲学者は、私が経験したことの核心を完全に哲学の原理として出している、と思った。これが第2の哲学的経験です。

フリードリヒ・ニーチェ(Photo by Gettyimages)

ニーチェの哲学の根本は、世界の秩序は、どこまでも生の力と相関して生成するということです。

でも、フッサールの信念対立の問題の解明と、ニーチェの、世界は欲望に相関して生成するという2つは、たしかにずっとあったけれど、私の場合、文芸評論から始めたので哲学的な教養が足りず、本格的に哲学に移るには、だいぶ時間がかかりました。

自分の中で「哲学でいこう」と踏ん切りをつけたのは、45歳ぐらいでした。

――その頃、文芸評論の本は何を?

はじめは、『〈在日〉という根拠――李恢成・金石範・金鶴泳論』(国文社、1983年/ちくま学芸文庫、1995年)という在日朝鮮人文学の評論。それから『陽水の快楽』(河出書房)という井上陽水論を書きました。

もっとも、最初の哲学的著作と言ってもいい『現象学入門』(NHKブックス)を書いたのは37歳でした。哲学の勉強は盟友の西研さんと続けていたので、哲学への理解もだんだん深くなっていったのです。

 

はじめはまったく歯が立たず…

――当初、哲学の勉強はどのようにしていらしたのでしょうか?

カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル……20歳代にはあてずっぽうに脈絡なく読んでいました。でも正直なところ、まったく分からなかった。

わかりたいという気持ちは強かったんです。でも哲学の難解度の壁は恐ろしいくらいに高かった。

特にカント、ヘーゲルは、何かありそうな気はするが、まったく歯が立たなかったですね。

それが、フッサールの『現象学の理念』を読んで、はじめて、そうか、近代哲学の中心問題はこれか、というのがつかめた。それからは、カントもヘーゲルも読めるようになりました。

だから、これから哲学を勉強しようという人にアドバイスすると、近代哲学の中心は認識問題(主観‐客観一致の問題)だということが理解できると、どんどん読み進めるようになります。

闇雲に読んでも断片的な知識をため込むだけで、よくある哲学オタクになるだけです。