〈前編〉では、出発点としての最初の哲学的体験、本書の核となった二人の哲学者フッサールとニーチェとの出会いを語る。
〈中編〉→ https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57193
なぜこの本を書いたのか?
――2017年10月に、1、2巻合計で1300ページ超という「大著」『欲望論』を出版されました。最初の構想から完成までになんと40年もかかったということですが、なぜこの本を書くに至ったのか、その経緯からお話して頂けますか。
『欲望論』の構想の始まりは、私の記憶では27、28歳の時でした(1974、5年頃)。そのころのノートが残っています。大学を出てフリーターでブラブラしていた頃で、いろんなアルバイトをしていたけれど、ずっとメンタルの調子が悪かった。
今で言うパニック障害のような症状で、悪夢と金縛りに長く悩まされていたんです。
それが治らないので、フロイトの『夢判断』を読み始めたんですね。すると、心の調子が悪くなるのには、じつはこういう原因がある、と書いてあった。
例えば「潜在的に父親を亡き者にしようと望んでいる」とか。それでフロイトにのめり込んでしまった。
ただ、はじめは引きつけられたけど、しばらく読んでいるうちに、「本当にそうだろうか?」と疑問が湧いてきた。それで「無意識」って何だろう、と自分でも考えてみたんです。
当時のノートに、こんなことが書いてある。
「無意識」とは、心の奥底に実際に存在している何かではなく、誰かから「あなた、本当はこうでしょう?」と言われて、「ああ、そう言われればたしかにそうだな」と気づきが起こる。その事後的な気づきがもたらす、自分についての新しい理解のことではないのか、と。

つまりもう、後に私の哲学の土台となる、現象学の考えが出ているんです。そのときはまだ、フッサールの現象学は知らなかったのですが。
――そういうノートはずっと書いていらしたのですか?
24、5歳からでしょうか。読書ノートのようなものです。当時、私には2つ、大きな問題がありました。
1つは、私は団塊の世代ですが(1947年生まれ)、それまで自分の世界観の中心だったマルクス主義への疑問が大きくなっていったことです。
そしてもう1つは、私は在日二世でもありますが、在日としての自分のアイデンティティの問題。
当時、在日の学生組織に北派(北朝鮮)と南派(韓国)があってイデオロギー的に対立していました。北派は共産主義で、いっぽう南派は民主主義的な統一を目ざしていた。
で、北派は絶対に自分たちが正しくて南派は間違っていると言い、南派に言わせるとその反対。でも、両者とも、どうしてそこまで絶対の確信をもって自分たちの正しさを信じられるのか、私にはどうしてもわからなかった。
この経験が、現象学で言う「信念対立」について考える発端になった気がします。もちろん右翼と左翼の対立とか、左翼内における党派の対立もありました。でもいちばん強くひっかかったのは、この民族的意識における信念対立でした。
どちらを選ぶべきか、まったく手がかりがないという感じでした。
哲学への目覚め
それが、30歳ぐらいのときにはじめてフッサールの『現象学の理念』を読んで、このフッサールという哲学者は、私が抱えている問題に1つの答を出している、と思った。それがまず第1です。

そしてもう1つは、さっきお話ししたような疑問が積み重なっていくうちに、ついに自分の中で「世界喪失」が起こってしまったんですね。
それまで強く信じていたものが突然、根拠がなくなって、がらがらと崩れおちるような経験です。
たとえばピアニストになるために幼いころからずっと努力してきた人が、事故で指を失ってその可能性を絶たれたら、「世界の喪失」が起きるでしょう?
それまで長いあいだ生きることの中心だったものが突然なくなってしまい、世界がバラバラに解体してしまう。私にもそういう経験があったのです。