中学教師になった野間清治が、那覇で通い詰めた「夜の社交場」

大衆は神である(15)
魚住 昭 プロフィール

文中に出てくる風月楼は沖縄でいちばんの高級料亭である。海に面して風通しがよく、美しい月が見えた。清治はこの料亭に通いつめた。手紙にあるように、巷の噂になって一時自粛したこともあったが、それも長続きしなかった。

夕方になると、風月楼の光景が目の前にちらついて、いてもたってもいられない。夏休みで手持無沙汰なことも重なって、それまで2〜3日おきだった風月楼通いが毎日になった。いったん夢中になると、止まるところを知らず、のめり込んでしまうのが清治の癖である。

やがて、風月楼の勘定が毎月の俸給を上回るようになった。清治は沖縄着任当初、郷里の両親に俸給の一部を仕送りしていたが、それができなくなり、逆に、桐生で撚糸工場を営む妹夫婦から絹織物をたびたび送ってもらい、それを売って支払いにあてた。

 

辻遊郭へふらふらと

しかし、熱病のような風月楼通いも、ある日、パタリと止む。そのきっかけは風月楼で開かれた宴会だった。さしつさされつ盃を交わすうち、清治は泥酔した。以下は、清治の自叙伝『私の半生』には採られなかった口述録の回想シーンである。

〈(泥酔したあと)目を開いてみると、そこは変な家へ来ている。友人が俥へ乗せるとどこかへ連れていくと言ったらしいので、友人が案内したのは、それは辻というので、那覇の遊郭であります。そこのある妓楼へ連れられていった。そんなところへ行くのはよほどの堕落教師のごとく思われるか知れないが、あの土地ではいろいろの人がそこへ行く。そこは交際場になっている。教育者の演説会なども辻(遊郭)で開かれるということで、知事さんもそこへ行くというような次第で、東京から来る名士もいったんはそこに招待される。そこでは沖縄独特の御馳走ができる。沖縄の手踊りを見ることができる。つまり芸者も揚げ、いろいろする愉快の所で、私もいつか一度は行って見ようというような気もあった〉

初めての辻遊郭は思ったほど魅惑的な所ではなかった。しかし、日がたつと、また宴会のあとふらふらと行ってみようという気になった。前に行った家はこの辺だろうと見当をつけ、遊郭の路地に入り込んだ。どの家も戸が閉まっていて、同じような構えでわからない。

辻遊郭の中でも高級なところは、昔からの閉鎖的なシステムをとっていた。客が金をいくら積んでも受け入れない。確かな身元の紹介者がいて、客本人の人となりがよくなければならない。

家には男は一切おらず、女主人が万事を差配する。遊女が年をとると主人になり、自らの下にまた遊女を置く。その遊女たちには一部屋ずつ与えて、部屋にはすべての持ち物が置かれる。簞笥や長持ち、布団、茶簞笥、火鉢など一切がそろっている。