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横浜ベイスターズを誰よりも愛し、そして去っていった男の告白

序章"嫌がらせのドラフト"と呼ばれて⑤

2013年に発売されベイスターズファンのみならずすべてのプロ野球ファンの胸を打った野球ノンフィクションの金字塔『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』。同作品のスピンオフ連載として始まった「2011年のナイン」、待望の連載第5回。それは暗黒時代、史上最弱と呼ばれ、身売り、本拠地移転、球団解散などが噂されたあの秋。どん底の中に生み落とされた高校生たちの7年間の物語――。

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横浜の「B・O・S

「ドラフトが終わった直後はああだこうだと言われるのが常ですけどね。スカウティングは5年、10年先を見据えてやっています。僕らは何にも気にしてませんよ。チームの編成というのは、親会社がTBSだろうがDeNAだろうが、球団がなくならない限り連綿と続いていくもの。意図的に貶めるような行為などするわけがない」

横浜ベイスターズ末期において編成部門に深く関係していた男は、当時のドラフトの背景とその意図を語ってくれた。

「ベイスターズの後期における選手のスカウティングは、2008年に日本ハムから来た人間の功績で、ベースボール・オペレーション・システム(BOS)を採用していました。今ではどこの球団でも当たり前にやっていますが、チーム全体の設計図を作り、それに基づいた選手の獲得・育成計画をしていたわけです。もちろんこの年の高校生に偏った指名もBOSに基づいてやっているものです」

 

北海道に移転した日本ハムファイターズが構築したというベースボール・オペレーション・システムは、選手の能力や年齢、年俸などを数値化、可視化することにより、チームの補強にどんな選手が必要で、今いる選手をどのように育成するかなど、5年後、10年後を見据えたチーム作りの設計図となるシステムのこと。その立ち上げには現DeNAベイスターズGMの高田繁氏も深く関わっていることが知られている。

ちなみにベイスターズがこのBOSを導入したといわれる2009年以降の3年間。チーム編成の核となるドラフト会議での、高卒と大学社会人の指名割合は以下の通りである。

2009年 指名5 高校生3人 社会人2人 育成2人(投手4野手1)
2010年 指名8 高校生0人 大・社8人 育成1人(投手5野手3)
2011年 指名9 高校生8人 社会人1人 育成2人(投手4野手5)

育成を抜かした指名人数の合計が22人。そのうち、高校生と大学・社会人は同数である11人づつ。確かに、年代のバランスは取れているように思える。

「あえて支配下選手ギリギリまで獲ったという指摘もね、バカげてますよ。まず、あの時代は負けが続いて即戦力の投手が必要だった。前年までのドラフトも投手の指名が多くなっていたので、野手が不足していてね。特に内野手は2軍のゲームもできないぐらいだったんだよ。

この年は野手を獲る年なんです。ただ、野手なんて簡単にできないんだよ。年6~7人獲ってもレギュラー級になるのはその内の1人。さらに上位では即戦力ピッチャーが必要。地元選手も獲りたい……ということですよね」

ちなみにこのBOS。この当時のベイスターズでは日本ハムのように、割り切ってクールにシステムを徹底できたわけではなかったという。なぜならば動かすのは人である。目利き揃いのお魚屋さんである大洋を前身に持ち、昔からの職人気質のスカウトが多かった現場では、いきなりデータ化、効率化、近代化をするといっても、拒絶反応が出るのも致し方なかった。

「設計図があっても、見ないで家を作るようなものですよ。だけど、09年の10月に加地隆雄さんが新しい球団社長に就任したことで『地元選手を積極的に獲っていこう』という指針だけはできあがった。だから、ある意味ではBOSが不完全だったことで、2009年のドラフト1位に地元横浜高校の筒香嘉智を単独指名に踏み切ることができた。

当日のギリギリまで1位はその年のナンバーワン左腕、菊池雄星ですよ。当時のチーム状況からすれば絶対的に必要なのは先発左腕。でも、ここで上層部の鶴のひと声で、地元の生え抜きスターとなる選手を強行指名した。ひとつ。ベイスターズが生まれ変わった瞬間があったとすれば、間違いなく、筒香を指名する決断をしたことが挙げられるだろうね」

ベイスターズが必死に生まれ変わろうと足掻いていたこの時代。不完全なシステムのそのまたエラーの中から、後の中心選手が生まれたことは、なんという運命か。

B・O・S 

それはこの当時のベイスターズにおいては

= ベイスターズ オーナーの さじ加減

といった意味合いの方がまだ強そうであった。