「弱者の生存戦略」83年生まれの格闘家、政治家、クリエイターが明かす

「持たざるもの」の戦い方
いつの間にかこの国は、「持てるもの」と「持たざるもの」がはっきりと分かれる社会になっていた。富めるものはますます富み、力なきものはすぐに退場を迫られる。若者にはチャンスさえ回ってこない可能性すらある。

しかし、持たざるものにだって、戦い方があるはずだ。

格闘家の青木真也氏、東京都議の音喜多駿氏、そして昨年博報堂を辞め、「The Breakthrough Company GO」を立ち上げたクリエイターの三浦崇宏氏。揃いも揃って1983年生まれ、早稲田大学出身。後ろ盾もなく戦い、さらなる高みを目指す3人が、「持たざるもののための生存戦略」を語り合った。(撮影/村上庄吾)

生きているのがツラかった

三浦:僕は博報堂に10年勤めた後、昨年「The Breakthrough Company GO」という会社を立ち上げました。JR東日本のグローバルキャンペーンを担当させてもらったり、日本テレビさんと事業をおこなったりと、おかげさまでいろんな方面から声をかけていただいています。

でも、独立するとき、多くの人から「大きい会社を出て、なんの後ろ盾もないまま新しいチャレンジをするのはリスクだよ」と言われました。

自分も不安に感じたりしたけど、独立してもうすぐ2年。今はむしろチャンスなんじゃないかって思うようになった。

そう考えると青木真也さんと音喜多駿さんとは、もう何年もの付き合いになるけれど、いまになって、自分の名前だけで勝負をしてきた二人はすごいな……と思うんです。ここまでずっと一人で戦ってきたわけだから。同い年の二人の経験や覚悟を聴いてみたいな、と。

青木:そんなこと思ってたの? 知らなかった。

 

三浦:この間も青木さんの試合をフィリピンまで観に行ったじゃないですか(シンガポールを中心とする格闘技団体「One Championship」のフィリピン大会に出場、1RTKO勝ちを収めた)。外国の地で一人でリングに上がる青木さんの姿を見て、「青木真也はこんな孤独な戦いを十何年も続けてきたのか……」と、改めてリスペクトの念を感じました。

音喜多さんだってそうですよ。29歳の時に務めていた会社を辞めて、政治の世界で5年以上生き残っている。総理大臣になることを目標に掲げて、一度もその旗を降ろしていない。

音喜多:そうやって評価してもらえるのはありがたいですが、この先どうなるかも分からない不安定な身ですよ。後ろ盾があるわけでもないし、資産があるわけでもない。政治家の親族がいるわけでもない。政治の世界における「弱者のなかの弱者」ですから(苦笑)。

青木:それなら自分だってそうだよ。いわゆる格闘エリートでもないし、大手のジムに所属していたわけでもない。そもそも格闘家として喰っていこうと思ったのも、大学卒業後に警察官になるために入った警察学校の生活に耐えられなかったから、というところがある。

三浦:知らなかった(笑)。

青木:もう、生きているのがツラいぐらいだった。いまはどうか知らないけれど、当時自分が入った警察学校は理不尽なところで。

朝6時起床と決められていて、、ああ早起きは耐えられるんだけれど、ちょっと早く、例えば5時半ぐらいに起きたとするじゃない? そしたら教官がやってきて、「バカ野郎! 6時起床だって言ってるだろ! 早く起きてどうするんだ!」と怒鳴られる。もちろん寝坊したらしたで怒鳴られる。

そんな理不尽な世界だったから、やってられなくなって、2カ月で警察学校を辞めたんです。それで、もう俺は普通の社会では暮らせないな……とまで思いつめた。

そこで考えたのが、ヤクザになるか、小さいころから柔道をやっていて、大学生時代に総合格闘家としてリングに上がってもいたから、格闘家になるか、しかないなって(笑)。

三浦:究極の二択ですね。

青木;それで、格闘家として生きていこう、と思ったんですよ。もしも格闘家としてやっていけなかったら、もうヤクザになるしかなかった。それぐらい追い詰められていたんで、人生に退路なんてないし、自分を守ってくれるものなんてどこにもなかった。

実力という意味では弱者ではなかったけれど、環境としては、一匹で生きていくしかない「弱者の環境」でしたよね。

三浦:二人は政治と格闘技の世界における「弱者」だった、と。でも、頭を使って弱者なりの戦略を持って、「持たざる者の闘い」を続けてきたわけじゃないですか。しかも、ここまで生き残っている。

これからの日本は格差社会どころか、「階級社会」「階層社会」になる、とさえ言われていますよね。その中で、持たざる者がどう戦えばいいかという戦略について語ることは、とても重要じゃないかな、と思うんです。いわば、「弱者の生存戦略」について話したいんですよ。

自分よりデカいやつにケンカを売れるか

三浦:青木さんはなんの後ろ盾もない「弱者の状態」から、どうやって自分が生き残る道を拓いていったんですか?

青木:それはもちろん、与えられたチャンスを生かして、勝ち続けるというのが一番の「生存戦略」なんだけど……最初はそのチャンスすらなかなか与えてもらえなかった。

というのも、自分が格闘技の世界に本格的に首を突っ込んだ時には、すでにK-1やPRIDEといった格闘技のブームが終わろうとしている時で、自分が座れる「椅子」がなかったんですよ。格闘技ブームの最中に入っていれば、「日本人ファイター」ということだけで結構いいポジションが用意されていたはずなんですが、市場が小さくなっているなかでは、日本人というだけでは座れる椅子がなかった。わずかに残っている椅子にはすでに他の選手たちが座っていて、絶対にそこを譲ろうとはしない。

だから、自分で椅子を作るしかなかったんです。それも、いままでにはなかった「椅子」を作らなくちゃいけない。そういう状況下では多少でも過激なファイト、過剰なパフォーマンスで注目を集めるしかないんですよ。批判されることを承知のうえで、他の選手を挑発したり、格闘技ファンの心を逆なでするようなことを言わざるを得なかった。

<青木真也・1983年5月9日生まれ。格闘家。著書に『空気を読んではいけない』

三浦:芸能界と同じで、ハーフタレント枠とかお笑い芸人枠とか文化人枠とかがあって、その枠は誰一人として譲ろうとしない……というような状況ですね。青木さんの場合、「イケメンファイター」とか、「過去の実績」みたいな椅子がもう埋まっているなかで、「過激さ」を売りにするしか、のし上がる方法はなかった、と。

青木:そう。本当はおとなしく淡々と戦い続けたかったんだけど、それではチャンスが回ってこない。だから、目上の選手や外国人選手に、とにかく噛みつくしかない。弱者の基本戦略は、注目を集めてチャンスを得るために、「自分よりデッカいやつにケンカを売る」なんです。

もうどれだけ考えても、それしか生き残る方法がなかったから、いろんな選手にケンカを売りましたね……。申し訳ないとは思いながらも、そうすることでチャンスと人気を得られたのも事実です。

ただし、ケンカを売るときにも、最低限の身を守る方法というのがあって。まず、ケンカを売っても自分を殺しには来ない人に売る。これがとても大事。

三浦:(笑)。

青木:本気で殺しに来るタイプにケンカを売ると、その後が大変。収集がつかなくなりますから。そうすると自分も消耗して、上を目指すこともできなくなる。

だから、ケンカを売ってもリングの上で一度戦えば許してくれるタイプや、あるいは存在が大きすぎて、「青木に絡んでも俺は得しないな」と思うような相手にしかケンカは売らない。

自分の場合、それは秋山成勲選手でした。秋山選手は当時のトップスター。俺が「秋山と戦わせろ!」と叫んでも、彼からすれば、俺と戦うメリットなんてないんです。実績も違うし、そもそも階級が違う。

だから、無視されるのは分かっているんだけど、こちらは威勢のいいことを言うことで注目が集まりますから、「威勢が良くて面白いヤツだ」と、他の選手との対戦機会を与えられる。そこでいい試合をすれば、また次のチャンスが回ってくる。自分の場合、その繰り返しのなかでようやくファンや関係者に認知されるようになっていった。

秋山選手には本当に申し訳ないことをしたと思っていますが、それしか生き残る道がなかったのも事実なんです。

三浦:ビジネスの世界でも、たとえばSHOWROOMの前田裕二さん……彼を弱者というのは語弊があるけれど、彼は「グーグルを超える」と豪語している。もちろん本気だとは思いますが、まずはそうやって途方もなく大きな目標を宣言することで、注目を集めているというところはありますよね。