防護服を着た子供像「サン・チャイルド」は、なぜ福島で炎上したのか

「被災地と現代美術」がもつ複雑な問題
林 智裕 プロフィール

「被災地にアートは不要」なのか

今回の騒動で、また多くの人が傷つきました。作者のヤノベ氏もそうでしょうし、純粋に作品を歓迎していた方、ショックを受けた方、この手の「議論」に疲れてしまった方、施設を利用しづらくなってしまった子どもたち…。作品に対する批判に傷ついたヤノベ氏のファンもいらっしゃるでしょう。

他方で、現地からの批判の背景や福島の今を理解しようともせずに、「福島は面倒くさい」「田舎者にアートは理解できないのだろう」「フクシマが汚染されたのは事実なのに、何が問題なんだ?」などと語る意見も散見されました。

決して悪意で創られたわけではないアート作品が、祝福されないばかりか、間違った文脈に置かれ、さまざまな誤解やすれ違いを生んでしまうのは、不幸なことです。このままでは、せっかく世の中に生まれてきた「サン・チャイルド」もまた、不憫でなりません。

 

被災地にとってアートが不要だと言いたいわけではありません。震災後に紡がれた無数のアート作品の中には、人々の救いや力になってきた芸術も確かにあったはずです。

しかし今回の件では、時代にそぐわなくなったアート表現や、アートと現実の乖離はどこまで許容されるのか、そのようなアートをどのように生かすべきなのか、パブリックアートはどうあるべきか、といったいくつもの複雑な課題が突きつけられてもいます。

もし「サン・チャイルド」が福島駅前という日常空間ではなく、震災の記録を保存するためのしかるべき施設や企画の中で展示されていたならば、このような騒動は起こらず、当時の空気感を伝える貴重な資料として歓迎されたのかもしれません。私個人は、この像を駅前ではなく、そうした場を用意した上で、丁重な説明を添えて展示しなおすべきではないかと考えています。

一方で、今回のようなすれ違いが起こった根本的な原因は、原発事故後、センセーショナルな「被曝による健康被害」や「県外避難者の怒りの声」ばかりがメディアに求められた一方で、「原発事故後に福島に留まった人たちの被害」「日常を取り戻していくための戦い」が、あまりにも知られていないことにあると思います。

福島の人たちが苦しめられてきたものの正体が、本当は何であったのか。それがもっと広く社会に共有されていたならば、こうしたすれ違いも起こりにくかったのではないでしょうか。

現在、多数の批判を受けた福島市では、サン・チャイルドが設置されている「こむこむ館」にて、自由記述形式で像に対するアンケートを開始したとのことです。この騒動がどのような結末となるか現時点ではわかりませんが、沢山の人が、特に福島の子ども達が笑顔になれるような、未来につながる対応を切に願っています。

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