防護服を着た子供像「サン・チャイルド」は、なぜ福島で炎上したのか

「被災地と現代美術」がもつ複雑な問題
林 智裕 プロフィール

胸に表示されている「000」という数値は、原発事故とは関係なく、世界中のどの場所であろうとも実現不可能な値です。福島よりも放射線量が高い地域は世界中にありふれています。

それなのに、福島だけが「ゼロ」以外許されない――。あるいは、福島の食品が今も一部で忌避されているように、たとえ「ゼロであっても」許されないのかもしれません。これは、今切実となっている原発のトリチウムを含む処理水問題にも共通する、深刻な問題です(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10281)。

そうした状況の中で、作品にみられる非現実的な表記は、あくまでイメージであるにせよ、実際に立ちはだかる理不尽な「ゼロ信仰」という問題を解決するうえで、障害になりかねません。

あくまで「イメージ」だとしても

像が着ている防護服が、「防護服が必要なほど、福島は汚染されていた」「市民は過去、大量の被曝をした(=将来、健康に影響が出るに違いない)」という誤ったイメージを喚起しかねない点も指摘されています。

 

福島市では、実際には防護服が必要となったことは一度もありませんでした。現在では、廃炉作業が進む福島第一原子力発電所の作業員ですら、防護服を着て作業するエリアは極めて限定的です。

つまり「サン・チャイルド」で表現されている、「2011年に想像された未来」よりも、「現実に訪れた未来」の放射線被害はずっと小さかったのです。

むしろ、実際に住民たちに苦難をもたらしたのは、自らのイデオロギーやビジネスのために「放射線被曝での健康被害に苦しむフクシマ」を望む人々による、偏見・差別、言いがかりや嫌がらせなどの二次被害だったとも言えます。

日常空間に防護服を着て乗り込んできたのは、一部の政治家や、住民への嫌がらせとデマ拡散を繰り返してきた人々ばかりだったことも、指摘しておきましょう。

このような経験があったために、今回の「サン・チャイルド」に対しても、設置に至る経緯の不透明さと説明不足もあいまって「なぜいま、どのような目的で持ち込まれたのか」「ツイッターなどSNS上の発言も含めて、県内外でどういう人たちが、どのような反応をしたり関わったりしているのか」など、その背後関係や経緯に対して、多くの住民から不安と警戒のまなざしが向けられてしまったのも無理はありません。

現在の福島にとって、「サン・チャイルド」は「過去に思い描かれた架空の未来」を描いた作品になっていると言えます。たとえ、それが作者の制作意図ではなくとも、「日常を防護服姿で踏み荒らす人々」や「力づくで押し付けられてきた放射能デマと偏見」を福島の人々に想起させてしまう点は否定できないのです。

仮に、あくまで「空想上のイメージ」であるとしても、このままでは作者であるヤノベ氏が本来意図したアートというカテゴリーさえも逸脱して、「サン・チャイルド」が福島に対する負の烙印やプロパガンダのシンボルとして一人歩きし、悪用されてしまう可能性すらあります。

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