東京五輪ボランティアをやっぱり「やりがい搾取」と言いたくなるワケ

過去の「動員」を思い出す…
仁平 典宏 プロフィール

「やりたくてやる」人は否定しない

以下では、五輪ボランティアに関する人を3つのタイプに分けてみたい。それは(1)やりたくてやる人、(2)やりたいわけではないのにやらされる人、(3)やりたいのにできない人である。

まず、(1)やりたくてやる人だが、これは事前に報酬や労働条件に関する情報が与えられ、参加しない自由が十分あるにもかかわらず、本人がメリットとコストを比較考量して参加する場合である。自発的なボランティアというイメージに最も近い。このケースまで滅私奉公とかやりがい搾取といって叩くのは、さすがにその人自身の合理性を無視しすぎだ。

ところでなぜ「自発的」に五輪ボランティアをする人がいるのだろうか。本当に滅私奉公の意識があるのか。ロンドン五輪のボランティアに関する実証研究によると、いくつかの動機の因子がある

その中には愛国心から参加する「愛国因子」というのもあるが、これが強い人は五輪が終わるとスポーツから離れる傾向があり、意外と「レガシー」になりにくい。一方で、「スポーツや五輪が好き」因子や「他者と繋がりたい」因子というのもあり、これらが高い人は大会後もボランティア活動やスポーツを続ける傾向がある。愛国云々に関係なくより私的な動機で参加する人の方がプラスの外部効果が大きいようだ。

一般に近年のボランティア活動に、社会や国という「大きな物語」が介在することはあまりない。自分を成長させたいとか他者と繋がりたいとか、めったにできない経験をしたいという個人の「小さな物語」をフックとしながら活動するのが一般的である。この傾向は五輪のようなお祭り騒ぎの時に顕著になる。

生の充実のために自発的に「祭り」に参加するボランティア――これに報酬を払う必然性はないし本人たちも求めていないだろう。ボランティアのタダ働きを批判するのは、たいていオリンピックに否定的な人だが、それが五輪の無用なコスト増大につながるような主張をするのは、あまり理にかなっていないように思える。

筆者自身オリンピックはやめるか極力安上がりがよく、その分を国が本来行うべき社会保障や教育に回してほしいと考えているが、その立場にとってやりがい搾取論は諸刃の剣である。

 

「動員」される懸念もある

しかし問題は、この自発性の前提が十分に満たされない(2)のケースである。長野冬季五輪のときに前例がある。この時のボランティアは約3万5千人とされるが、この中には自治会や消防団、婦人会などの地域団体、経済団体、労組などに協力を要請して動員された人も多く含まれていた。

さらに、ボランティア運転手が大幅に足りなくなってからは、企業や自治体を通じて1万人近くが運転ボランティアとしてかき集められ、半強制的に参加させられた人も少なくなかった2

中間集団を通じた動員は、日本のお家芸である。1964年東京五輪のときも、大学や企業を通じて運転や通訳、会場整理の人員が集められた。また都内では地域組織が中心となって、海外の人から見て恥ずかしくないように地域の改善運動が展開された。復興した日本を世界に見てほしいという「大きな物語」が社会を覆い、「公徳心」という言葉が睨みを利かせていた。

現在は「大きな物語」も地域組織も空洞化しているが、大きなスポーツ大会があって人手が足りないとき、地方自治体や地域の大学・企業などにボランティアの要請が行われる構造は変わらない。

しかし参加しない自由が十分に保証されない限り、「ボランティア」として扱うべきではないし、その労働には正当な対価を払うべきだろう。

長野五輪のときには、運転手を出す地元103社の約3300人の8割が、ボランティアといいながら実際には業務命令による派遣だった事がわかり、労働基準局から各会社の就労規則を守るように行政指導が入った3。今回も人手不足の領域を埋めるために、大学・企業・自治体を介して半強制的な「ボランティア」動員が行われないか懸念される。

長野五輪では動員が行われた(photo by gettyimages)

「ブラック」という批判はこのような働かせ方に対してこそ厳しく向けられるべきだ。

加えて重要なのは、これらのケースを「例外」ではなく「やっぱりな」と思ってしまう感覚が、我々の中にあるということだ。

これまでの日本社会は、仕事への全人格的なコミットメントと家族(女性)のアンペイドワークに依存し、政府も他の選択肢を保障することなく、その仕組みを推進してきた。自由度の小さい「やりがい搾取」の体系が、社会に埋め込まれているというリアリティがある。

先に述べたように、無償のボランティアはオリンピックでは一般的だが、日本で強い反発が起こる背景はここにあると思われる。この懸念を払拭しない限り、いくら小手先で対応しても批判は消えないだろう。