老舗和菓子・たねやを救った「バームクーヘン革命」の秘密

これが本物の近江八幡のバームクーヘンです
山本 昌仁 プロフィール

「終わりかけた商品」で勝負に出る

流れが変わったのは1999年。梅田阪神に出したバームクーヘン専門店「クラブハリエBスタジオ」が起爆剤になって、一躍、有名になったのです。

出店要請があったとき、弟と話したのは、中途半端なことはするまいということ。かつて大津西武店でフルアイテム並べても売れず、栗饅頭や最中など3つの商品だけにしたら売れ始めた。その教訓を忘れてはいけないと。

地元のお客様にずっと愛されてきたたねやの看板商品が栗饅頭・最中です。では、洋菓子においてそれは何かといえば、バームクーヘンとリーフパイでした。特にいちばん売れていたのがバームクーヘンで、婚礼にも強かった。このときは草津近鉄店のモンブランが話題になっていましたが、それを置いたら中途半端になってしまう。バームクーヘン1本で勝負しようと。

とはいえ、大問題があります。世の中でバームクーヘンは「終わりかけた商品」とみなされていたことです。いまでこそどこでも見かけますが、それは私たちがバームクーヘンブームを作ったあとの現象なのです。

当時のバームクーヘンは、結婚式の引き出物に使われる程度の存在でした。進物として長期間もたせるため、パサパサしたおいしくない商品が多かったからか、実際、「バームクーヘンやったらいらんわ」と言われたことがあります。

でも、私や弟には強烈な記憶がありました。子供の頃、工場で焼きたてバームクーヘンの「丸太」にかぶりついた思い出です。菓子屋の息子の特権ですね。あんなにおいしいものはなかった。たねやの菓子には正直、飽き飽きしていたところもあったのですが、バームクーヘンだけは毎日でも食べたかった。

バームクーヘンは丸太状で作られる。工場で焼かれるが製造過程では職人技が必要に
 

世の中の人たちは、本当のおいしさを知らないだけなんだ。それを知っていただけたら、絶対にファンになるはずだ。私と弟には確信があったのです。

デパート側は猛反対でしたが、直接、先方の社長にかけ合って、「必ず一番をとります。1週間で結果が出なければそちらの言うようにしますから、まずは私たちの思うようにやらせてください」と頼んだ。阪神百貨店の食品売場は日本一ですから、そこらへんの決断は早い。私たちの「常識外れの提案」を飲んでくださいました。