写真提供:たねや

老舗和菓子・たねやを救った「バームクーヘン革命」の秘密

これが本物の近江八幡のバームクーヘンです

滋賀県一、人が集まる観光地「ラ コリーナ近江八幡」を運営するなど、「現代の近江商人」と称される、和菓子の「たねや」グループには、「クラブハリエ」という洋菓子ブランドがあります。若き日に父である先代のたねや社長から「クラブハリエ」を任された筆者は、デパートに入ったお店で、焼きたて、切りたてのバームクーヘンを売り、「バームクーヘン革命」を成し遂げました。

デパートの食品売り場にバームクーヘンの人気店があるのは、いまでこそ当たり前の光景ですが、ブームのきっかけとなったのは和菓子の会社の後継者だったのです。ラ コリーナではいまも焼きたてのバームクーヘンを求める大行列が。どこに成功の秘密があるのでしょうか?

ラコリーナ近江八幡の焼きたてバームクーヘン売り場は大人気

戦後6年目には洋菓子を始めた

父が私に洋菓子を任せたのは理由があります。1995年ころのたねやは、洋菓子はほとんど力を入れていない分野でしたし、売上は全体の1割にも満たなかった。もし私が失敗しても、和菓子が絶好調なので、いくらでもカバーができます。息子に裁量権を与えて「現場で育てる」には、もってこいの分野だったのでしょう。

結果的に、この判断が世代交代をスムーズにした面もあると、私は考えています。

実は、たねやの洋菓子は非常に歴史が古い。なんと祖父の時代、1951年には洋菓子の製造を始めています。最初の近江八幡店の向かいが「青い目の近江商人」と言われた建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年。メンソレータムで有名な近江兄弟社の創設者の一人)の家でしたから、庭にテーブルを出してパーティをされるのを、祖父や父はよく見ていた。昼間の3時から集まって、芝生の上でお茶を飲むのだから目立ちます。

父もたまにお呼ばれしたようですが、クッキーだとかパイだとか、見たこともない菓子が並んでいた。ケーキの上にイチゴがのっていたり、ローソクが立っていたりするのですから、子供は大喜びです。東京では珍しくなかったとしても、近江八幡でそんな光景が見られるのは、そこだけでした。

ヴォーリズ家の方から洋菓子の製造法を習ったわけではないのですが、アメリカ文化を学んだ。それで終戦から6年しかたっていない時点で、「これからは洋菓子も売るべきや」と決断したわけです。

和菓子の横に、クッキーやスイートポテト、モンブランといった洋菓子も並べる。1971年にリーフパイ、1973年にはバームクーヘンの製造も開始しました。

では、本格的に洋菓子に力を入れたのかといったら、そんなことはありませんでした。この5年後には日本橋三越に出店し、そこから和菓子の快進撃が始まるからです。

 

たねやがまったく次元の違う会社に成長するうち、洋菓子はいつの間にか忘れられたジャンルになってしまった。「バームクーヘンとリーフパイがあったら、ほれでええのや。それ以外の余計なことはするな」という時代でした。

売上が会社全体の1割に及ばなかったのは、それなりの理由がある。洋菓子にまったく力を入れていなかった。

でも、バブル時代に海外の菓子屋がたくさん入ってきたこともあって、われわれもそろそろ洋菓子に本腰を入れるべきではないか、という話になった。1992年に八日市玻璃絵館ができたのがきっかけです。そして、私が受け持つことになった。

栗きんとんのモンブラン

1995年、もともとボン・ハリエという名前だったたねやの洋菓子部門はクラブハリエと名前を改めます。

クラブハリエの初代社長は父でしたが、実質、私に任されていました。「たねやの洋菓子」として出したほうが売れるのはわかっていても、まずはブランドを確立しないといけない。ロゴを変えたり、パッケージを変えたり工夫しました。

洋菓子を一人前にしてやるんだと鼻息だけは荒かったものの、しょせんは田舎のケーキ屋にすぎません。現在のクラブハリエでは世界チャンピオンを次々と輩出していますが、この当時は関西大会ですら勝てなかった。技術力も商品開発力も経験もまだまだ足りなかったのです。

自分たちで作るより、外から仕入れたもののほうが売れるのです。悔しいし、もどかしいものの、それが当時の実力でした。

そんななか、小さな成功体験はいくつかありました。例えば、1997年の草津近鉄店オープンに際して考えたモンブラン。周囲には競合店がひしめいているので、ブランド力のない私たちがまともに勝負して、勝てるはずがない。

そこで、お客様の目の前で栗のクリームを絞り出す作業を見せました。しかも、味わいをこれまでとはまったく違うものにした。周囲のモンブランは洋酒を入れて生クリームをたっぷり使ったクリーミーなもの。うちは和菓子屋出身なので、栗きんとんをベースにして、栗の風味そのものを味わえる濃厚なモンブランを作った。これが人気を呼んだことで、私も弟(現クラブハリエ社長、グランシェフ)もずいぶん自信をつけました。

栗きんとんのモンブラン