天皇が日本の島々を旅する「これだけの理由」

最後の訪問は利尻島だった
畑中 章宏 プロフィール

半世紀越しの訪問

「島の経済文化がなぜ遅れているかということは観念的にはわかっていても、具体的には誰にも何一つとしてわかっていない。したがって、どのような振興策を講ずればいいかということすら、学問的な立場から検討されたことは少なかった」

これは宮本常一が1955年に書いた「おくれをとりもどすために」のなかの言葉である。この論考で宮本は、立案された振興計画はたぶんに政治的なもので、科学的な追及はほとんど手をつけられていないと嘆いている。

島の資源、土地生産性、労力生産性、貨幣流通、物資流通、交通と運賃、島民生活の収支関係、本土とのつながりなど、離島に住む人々の生活を国民生活全体のなかに位置づけるような体系的な調査はほとんどされてこなかったという。

〔PHOTO〕iStock

宮本は64年に「利尻島見聞」という紀行文を発表している。いまから50年以上前に、民俗学者であり、農漁村指導の実践者であり、離島振興法を推進した人物がみた島の現状分析である。

「島の主峰利尻岳の裾野、海抜三〇○メートル以下はゆるやかな傾斜で牧野としても十分利用できる条件を待っている。……かならずやこの原野の開発に島民も真剣にとりくむ日が来るであろうと思われる。……とにかく私の眼にはこの島はいろいろのことが今はじまったばかりであるという感じがする」

 

宮本が利尻島を調査してから半世紀以上が経過し、ようやく天皇の訪問が実現した。そして、それが最後の離島訪問となるみこみだ。

民俗学者たちが関心を広げ、平成の天皇が高めた離島への関与を、新天皇も持続していくことを期待したい。

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